真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2009年11月 ] 記事一覧

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不思議な力

私は何の変哲もない、人間です。子どもの頃は、学校の先生になりたかったかな。人生の荒波にもまれて、色々な体験や経験もしました。でも、ごくごく普通の人間。今も、ごくごく普通の人間。何にも変わらないといえば本当に何も変わらないです。でも、変わったと言えば、本当に変わりました。お同行の方ともたくさんお知り合いになりましたし、こんな日記を公開してみたり。やっても、やらなくても、どうってことないんですよ。変わ...

こどもの発表会

今日は子ども達の幼稚園の発表会でした。新型インフルエンザで一昨日まで約一週間、学年閉鎖だったのにもかかわらず、みんな本当に頑張って、微笑ましい限りでした。でも、大体自分の子どもしか、見てないんですよね。ちゃんとできるかな?まあ!意外にちゃんとやっている。成長したなあ、なんて思いながら。思えば、子どもと共に私の聞法生活がありますから、感慨深いものがありました。子どもの存在も、私を護り、私を導いてくれ...

何もない

何も出てこない日も、あるんですね。特に、これと言って、なし…。でも、何も出てこなくても、どうってことなし。出てこなくても、変わらない喜びが、有り難いですね。どうしたものかな、と思ったら、朝晩教えていただくとおりお念仏させていただくだけの、幸せ。...

おんなじ話が聞きたい

いつも同じ話だから…、と言われるのを聞いて、びっくり。同じ話だから、うれしいのに。同じ話でも、その都度違うんです。こんな風にも言えるんだ、そのとおりだなあ、なるほど、うんうん…有り難さが胸いっぱいに広がります。だから、いつもおんなじお話を聞かせていただきたいのです。      ...

逃げている私

真剣さとか、苦労とか、時間とか、そういうのは程度のあるものですね。救われないのに程度に問題があるというのなら、どこまで真剣になったらいいのか、どこまで苦労したらいいのか、どこまで時間かけたらいいのか、となってしまいます。横超だから今、本願の海に飛び込むか飛び込まないか。一心に弥陀に帰命するかしないか。程度ってないんです。だから、逃げてはいけませんよ、といつも言われたのですね。逃げている私に、逃げな...

ふしぎはすてき

朝が来る 空が青くなるお昼には お腹が空くんだあ・れ・れ! なんでだろう当たり前が 不思議知らないこと 知りたい知りたいこと 知らない不思議探しは 楽しいとっても おっきな リュックに 夢 詰め込んでいっぱい ビックリ 待ってる 旅に 出ようかうっかり 失敗 がっかり でも 涙はよそうきっと 笑ったら すっかり うまく いくはずうふふふ 不思議は素敵夜が来る 星が光りだす月が出て 眠たくなるんだは...

遠くにしていたのは私

いつまでたってもお救いを遠くにしか感じられない私でした。近づいていって、近くに感じられるようになってから?いいえ、何も感じられない私のこの心は死ぬまで変わらない、だからこそ今救うの本願でした。私が、ただ今と思えたからじゃなくて、阿弥陀仏が、ただ今と思えない私をただ今必ず助けると仰せなのです。宿善厚くなったらも、求道進んだらも、信仰が進んだらも、それは全部自分でつくった勝手な罰当たりな言い訳でした。...

同じだけど人それぞれ

現代はネットの時代、あちらこちらのいろんなお同行の方が、発信されているのですね。遠く離れていても、すぐに読めたり、お話できたり、便利で有り難い時代です。それで、色々読ませていただくと、そうそうわかるわかる、同じ同じ、と思うのですがその表現や言葉は人それぞれ。そんな言い方あるんだなあ、そういう風に言うって面白い…また楽しくて不思議です。私も、もっと自由でいいかなあ、と思ったりして。私は、ほのぼの路線...

今うれしい

どうしてこんなに嬉しいのか、わからないんです。でも、だれかれ構わず人に話すような、そういう感じでもない。むしろ、どう言っていいかわからないから、悩みます。救われた、という過去のことではなくて、今救われていることが、嬉しいんです。だから、その喜びはいつも変わることがなく、色あせることがないんです。...

聞かない私

私の心は聞かないです。いつかああいう心になったら…と思っていたのは間違いだとはわかっても、自分で聞かせよう、聞かせようと思っていたときは、死んだ心が生き返るとでも勘違いしていたのですね。屍は屍のまま。屍だから、必堕無間。出離の縁あること無し。でもそれはそうと知って恐れたから救いにあずかるのではなくて、そうと知らされたときには往生は治定の身。すでに必ず堕ちることに恐れはないんです。...

逃げられないうれしさ

ふと目にしたお言葉「六字から逃げられないことになる」…そうだなあとつくづく思います。毎日なんでこんなにこんなことばかり思っているのだろうと思いますが、毎日、新たに聞かせていただいている状態なので、仕方ありません。逃げられないのです。聞いて、ずっと聞かせていただいている状態です。阿弥陀様から。間に人の言葉は入らないので、人の言葉に依らないから、ひとたび聞かせていただけば、言葉に左右されるものではない...

間違いのないもの

今度は、変わらないものの話です。私のほうは、間違いだらけです。仏様からご覧になったら、罪悪深重のあさましき凡夫です。こんな私が、往生は治定の身にさせていただけるのは、不可思議の願力によるのですね。そうでなかったらあり得ないことです。まったく不可称不可説不可思議の、南無阿弥陀仏のおはたらきです。だから、間違いのないのは、南無阿弥陀仏。私に間違いがなくなるのではないんです。このあさましき私の身に南無阿...

間違えても

阿弥陀仏から賜るもののことではなくて、私の了見の話です。人間ですから、間違えることはありますよね。私は恥ずかしがり屋なので、間違えないようにしよう、と思っていても、やっぱり失敗や間違いをしてしまいます。子どもに注意されることもしばしばです。小学校の時の担任の先生が、「学校は間違えるところだ」と言っておられました。間違えて、お互いにそれを教えたり教えてもらったりして、学んでいく場なのだと。間違えても...

喜ぶこころ

どういう訳か、こんなつたない私のぶろぐを読んでくださる方が増えてきて、お恥ずかしいながらも、ありがたくうれしい限りです。毎日書けたらいいな…と思っているのですが、夕べは子どもが変な時間に寝て起きて、寝かしつけているうちに一緒に眠ってしまい、そのまま日付が変わっていました…子どもや主人のことや家事に追われるばかりの毎日で、お聴聞ももっとさせていただきたいのですが、最近は先生のところで紹介されていたりす...

わかりたい

たのみなさい、と言われると、たのんだらいいんだ、たのむとはどういうことか、わかりたい。向かいなさい、と言われると、向かえばいいんだ、向かうとはどういうことか、わかりたい。わかったら、できる、と思っていたんですね。聞きたいのか、聞きたくないのかも、自分の心がわからない。自分の心がわかったらいい、と思ってたんですね。私が何かわかったところで、それが何になるのでしょう。自分でできるようなものなら、阿弥陀...

なんか、嬉しい

最近、いろいろありました。怒ったり、びっくりしたり、がっかりしたり…生きていれば、当然ですよね…でも、なんか嬉しいのです。どうしてだろう…。でもずっと嬉しいのは、変わらないけれど、余計に嬉しかったりするのは…そうだ、わかり合える人が、いるからですね、一人より二人、二人より三人…喜びも苦しみも、わかり合えるから、頼り合える。助け合っていこうじゃないですか。...

愚痴もあるよ

なんか、最近偉そうなことばかり、書いてたな…と思って。でも、本当に、そう思ったことばかりで、現実はどうかとしても、まずは心がけのないところには、なりようもないと思うのです。もちろん、きれいごとばかりじゃないですよ。怒るし、愚痴も出る。でも、これが不思議なんです。とけていく…といいますかね、なむあみだぶつがとかしてくれるんです。...

人の心

いつも、心が大事です、と教えていただくのですが、それは何も、法に向かってのことだけではないと私は思うのです。人から人へ、法は伝えられていきます。私の中にも、阿弥陀仏から起こされるそういう心があって、足りない智慧才覚や環境ということもありますが、ささやかながらご縁があれば、御同行として励ましあったり喜びあったりさせていただいています。そんな中ではなおさらのこと、社会の中で一人の人間として生きていく上...

身を捨てよ

一 おなじく仰せに、まことに一人なりとも信をとるべきならば、身を捨てよ。それはすたらぬと仰せられ候ふ。特定の人を礼賛したり、褒めたたえる話ではなくて、こういう方が今までにも、たくさんおられたからこそなのだろうなあという話です。私の先生もそういう人です。自分ではそういうことは言われないけれど、きっとこのお言葉を胸に秘めて、心に抱いておられるのだと思います。そうでなければたった一人の私のためにとてもあ...

信後こそ大切

前にも同じようなことを書いているかもしれませんが、その日その日の思いをつづっていますので、お許しくださいね。私自身、同じことでも、大切なことは繰り返し心がけていかなければならないと思っています。先生と私が一番最初に出逢ったとき、「信心獲得してからが本当のスタートなのですよ」と言われました。それが本当に熱の込められた心の底からの言葉であったことを、最初に教えていただいたこととsして、よく覚えています...

続く

何をしても三日坊主で、人一倍飽きっぽい。やるとなったら割と集中するけど、熱しやすく冷めやすい。心がけよう、と思っても、すぐ忘れる。だから思い込みなんて続かない。それなのにこの心はずっと続いたまま。いつもある…不思議。当たり前といえば当たり前だけど。...

なんじゃこりゃ

時々思うのですが、私の感じでいうとこの世界は、なんじゃこりゃという感じです。...

生活の中で

浄土真宗は、出家発心の姿をとらず、捨家棄欲の姿をあらわさない教えであると、御文章でも教えていただきます。商いもし、人にも仕え、獣を狩り、魚をとるなどもなさればよろしい…汗にまみれ人にもまれ、そんな生活の中で求めることができる、またそんな人のための教え、在家仏教とはそういうことではないかと思います。だから、信の上での聞法、生活というのが、本当に大切なのだと最近思います。そこからが本当のスタート、何か...

お念仏すらできない私

喜びがあったら、勝手にお念仏が出てくると思ってました。そんな殊勝な私じゃなかったんです。だから毎日朝晩のお勤めで、御文章で幾度となく教えていただく、蓮如上人の「信心決定の上には、寝ても起きても念仏申すべきものなり」が、私にはいつも心に染み入ります。勝手に、自然に出てくるような、そんな立派な私なら、お念仏しなさい、なんて言われなかった、と思うんです。そんな気すらついどこかに置き忘れてしまう浅ましい私...

覚えられない

前に、覚えようと思って聞いたことはない、と書きましたが、思い返してみると、だいぶ前ですが、そういうときもあったことは、ありました。でも、覚えようというより、しっかり覚えようと思って聞いたら、真剣になれるのでは、と思ったので、真剣になるためには、と思ったのですね。それで、やってみましたら、覚えることが目的になってしまったんです。お話を聞いたことを、書き出してみて、そのとおり記録できる様に、とやってい...

南無阿弥陀仏が開いてくれる

また不思議な出会いがありました。子供のころは、すぐに誰とでも友達になれたのに、大人になるほど新しい友達をつくることは難しくて、ごくごく狭い集まりの人たちとしか交流がなかったりした日々もありました。むしろお友達をつくることが、わずらわしいような…ことも… でも、今新しい心になって、なぜかどんどん世界は広がっていきます。 ふと、そんなつもりではなかったのに、読むだけのつもりが書いていて、書いたら応えてく...

お仏壇の前で

お仏壇…私はもともと実家は浄土真宗ではなかったので、その宗派独特の地味なお仏壇で、浄土真宗の金仏壇には、ちょっと憧れがありました。お仏壇の前に座るときって、どんなときですか?もちろん朝晩のお供えやお勤めや、出かけるとき帰宅時ののご挨拶…かつて阿弥陀さまの存在が遠かったときは、いそいそと申し訳ないことに、忘れがちだったりして…今はいつもお仏壇の阿弥陀様に見守っていただいています。お仏壇の前で阿弥陀様に...

疑いの果てに

疑っていることも、分からなかったんです。信じようとしてはじめて、疑っているんだと、知ったときは驚きました。いや、驚くような、罪を感じるような自分ではないのですが、阿弥陀仏のお慈悲と御苦労と、聞いて分かったのに、疑うんですね、私は。そんな素直な殊勝な者では、なかったのです。疑う私を疑いなく救う本願なのだと、阿弥陀仏から知らされて疑いのない身になりました。死ぬほど疑っていたのだと、私ほど疑った者はなか...

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