真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2009年12月 ] 記事一覧

いつでも、どこでも

今年も終わりですね。8月から始めたブログですが、私の拙い文章をいつも読んでいただき、ありがとうございました。来年も続けていけたらと思います。暦が変わっても、時代が変わっても、人が変わっても、何かがなくなっても、変わらないものがありますから。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…...

自力とは

「なんのようもなく」ですから、私のほうには助かるための種がないのですから、方法がないのです。しかし、自力の心を捨てて、といわれますとそれが救われるための方法のように思われる方がありますが、そうではないんですよね。だから「自力の心を探しなさい」とは言われないはずです。自力の心を捨てたのが阿弥陀仏をたのんだのであり、救われた姿なのです。そのままをそのままと受け取れず、方法があると思うから他力の救いに自...

時の経つのも

年末も押し迫り、年賀状を書いたり片付け物をしたりして、今年一年を振り返ったりもしますね。一年最後の日に振り返って書こうかと思いましたが、振り返る間もなく、命を終えるかもしれません。書けるうちに書いておこうと思います。今年は、今までになくあっという間の一年でした。私自身の外部環境ということからすれば、特に大きな変化はありませんでしたが、南無阿弥陀仏と共にあった一年は、南無阿弥陀仏に不思議に導かれ、南...

合掌

昨日お同行の方がふらりと遊びに来てくださいました。最近他の方ともネットやお電話ではお話させていただいたりするのですが、なかなか実際に会う機会もなかったので、少々寂しかったのですが、(出かけられない自分が悪いのでぜいたくを言ってはいけないのですが)そんな私を察してくださったのでしょうか。阿弥陀様にお礼がしたいからとおっしゃってくださって、それはそれは何とまあ、尊いお姿なのかと思い出すと涙が出そうにな...

年の暮れいかがお過ごしですか

年の暮れも押し迫ってきましたね。我が家は子どもたちは冬休みですが、主人が年末も年始も相変わらずのローテーションで仕事があるので、あまり変わり映えがしなくて、家族全員でのんびりお正月休みを味わうというのもあまりないというのが毎年のことです。しかし、それはうちだけのことに限らず、自分が買い物にいけば、そこで店員さんが働いていてくださるから必要な物が買えたり、病気になっても病院に行けば、お医者様や看護婦...

真宗宗歌

思うままに書かせていただいております。最近いろんな方に触発されることもあって書いたりすることの意欲が増していたのですが、阿弥陀さまの世界を、自分だけのものとしてあまりにも手の届かないものにしてしまうのもおかしいと思いますが、かと言ってまた凡夫の自分の世界に引きずり降ろすようなこともしてはいけないんじゃないか、とふと反省したりもしました。それはさておきまして、ふかきみ法にあいまつる身の幸なににたとう...

見ても聞いても

12月に入ると世の中はクリスマス商戦で一色という感じでしたね。どこへ行ってもクリスマスソングであふれていましたが、クリスマスも終わって、すこし静かになって、今度は年越しに向けて最後の追い込み…という感じでしょうか。味わいは、折に触れて溢れてくると言いますか、いろんなものを見るにつけて聞くにつけても、有り難いことだなあ、嬉しいことだなあ、と阿弥陀仏の御心を感じたりするから不思議です。いろんな方がよく...

あきらめなかったのは

私はよく阿弥陀さまのほうがあきらめてくださらない、ということを言ったりするのですが、本当にそうだと思うのです。でも、自分であきらめてしまっていては、どうにもならないと思います。救われる、ということがどういうことなのかということの問題もありますが、それはちょっと置いておくとして、じゃあ自分はどうしてあきらめることがなかったのか、といいますと、変な話頑張ってなかったからかも知れません。頑張っていると、...

皆で友に

考え方や感じ方は自由ですし、形も色もない言葉でもない世界なので、間違えることも多々あるし、それはそうじゃなかった、こういう言い方もあるんだなあとか、と教えていただくことはしばしばです。私には有り難いことに、尊敬できる先生やお同行の方が何人もあって、それぞれ違った輝きがあって、皆様素晴らしい方ばかりです。救われているとか救われていないとか、私に言えるものでもありませんし、それで人間の上下があるわけで...

厳しさ

厳しさのある人が好きです。なかなか自分にはなれないから余計にかも知れません。法にも、厳しさはあると思うんです。厳しかったと思う。私が甘ったれだから。厳しさと言っても、乱暴な言葉や態度で怒る、ということじゃないです。言うことを聞け!と自分に従わせるとかそういう頓珍漢なことでもないです。苦行や我慢をを強いるということでもないです。叱咤して鍛練さすということでもないです。阿弥陀仏の今の救いに向かいなさい...

おかげさまで

おかげさまで、という言葉が好きです。子どもの頃、親が人から誉められたりするとこう答えるのだな、と思いながら聞いていて、大人の会話の言葉だと思っていました。あまり子どもがおかげさまで…なんて言わないですよね。社会人になって、結婚して、子どももできて、いろんな社会との関わりの中でこの言葉を使うようになりました。お子さん大きくなったね、…おかげさまで。ご家族皆さん元気?…おかげさまで。…でよかったね、…おか...

正しい教え正しくない私

夕顔さんのお部屋にて思いました。正しく聞いたか、聞けているか…?どう聞いたのが、正しく聞けたといえるのでしょうか。正す、とか。正したら、どうなるのでしょうか。心のあり様まで正すことができるのでしょうか。もしあるとすれば、正しくなどなれない自分と聞いたのが正しく聞いたということなのかも知れませんね。ご法義の上においては、こういうことを言ったりしたりするのは間違いですよ、と書かれてあるのですから、正し...

喚び声

お喚びづめなのは、阿弥陀様のほうでした。私はいつもきょろきょろあっちこっち、違うところばかり向いて、知らん知らんと逃げ回るばかり。それでは申し訳ないから、寝ても起きてもお返事しなさいね、と言われているよう。返事もできない私だから、それも用意していただきました南無阿弥陀仏。網の中は不思議です。...

まことの聞法

理解できないから、とか、わからないから、とか思っていたこともありますが、そうではなかったんです。法蔵菩薩は五劫のあいだ思惟されました。凡夫の私が理解しようと思ったら、それではとても足りないということです。自分が変わったら、というのも、同じ。私に修行はできませんし、それで変わるような心でもありません。だから、私がするのではなくて、阿弥陀仏からそのまま賜るだけです。仏智を領受するのですから、とうてい私...

底の安心

私は毎日罪を造って生きているのでしょうね。罪の結果は苦でしょうね。ですから罪を恐れます。しかし、罪の重いことも打ち捨てて阿弥陀仏をたのむべきなのです。こんな罪の重いものは助からない、と言って、私がその罪を軽くすることができますか?私の罪の重いことは百も承知の阿弥陀仏なのです。罪が重いからこその、阿弥陀仏の兆歳永劫のご苦労…この私の為でした。煩悩具足の私は変わりませんから、苦しみや悩みはやってきます...

従うということ

本願招喚の勅命に従う、とか言いますよね。本当かな?本当に信じて言うこと聞いたら、助けてもらえるんですね?というような、従い方ではないんです。他に、誰か人や、言葉を信じなければできないというような、前提や準備もいらないんです。むしろ、そういう心は、全部捨てないといけないのでしょうね。自分のしてきたことや、人や、人の言葉、自分の心、往生には何のあてにもならないものを、大事に抱えてつかんでいる間は、他の...

お念仏

調子のいいときは自惚れてはいけませんよ…落ち込んでいるときは大丈夫だよ、元気出しなさいね…と言ってくださっているようなんです。...

お慈悲

親や人の愛情や情けというのは、自分がその人から必要とされて初めて、与えられるところがありますね。だから、その人にとって必要のない存在なら、ほっておかれるような。親の愛と言っても、他人の子までは愛せないです。でも、阿弥陀さまは違いますよ。全員かわいい我が子。損得も、取引もないから、条件もない。大慈悲なんですね。だから、こんな私が。どんな人でも。南無阿弥陀仏の為に私があるのではなくて、私の為の南無阿弥...

反省

凡夫ゆえ、とかく感情に左右される私ではありますが、心の状態がどうであっても、減りも無くなりもしないんですね。楽しいときは楽しいまま悲しいときは悲しいまま私のすべてを受け入れて、そのままあってくだされる。他には何もいらなかった南無阿弥陀仏と、私が一人。...

楽しいひととき

先日、あるお同行の方と、お会いして雑談などさせていただきました。ありがとうございました。大変楽しい時間を過ごさせていただきました…が、後でお聞きすると、ややもすれば相手の方が圧倒されるかのような勢いで、私はしゃべってしまうようです…そうだったの…?控え目に、したつもりだったのに…ごめんなさい。でも、そうなんだ…と妙な感慨がありました。どちらかというと、というより、むしろ無口なんですよ。なんでそんなに、...

根拠

南無阿弥陀仏...

お世話になりました

方法なんてないんですが、そんなに甘いもんじゃない、とも時々思います。今、というのは、簡単だ、という意味ではないです。かと言って、苦労しろ、ということでもないです。待っていても、何も始まらない訳で。聞かないことには。始まってしまったからには、終わらせないと、なんともならないのですよね。こわいんですけど、逃げたらだめ、と言われて、そうだなあと思って、当たって砕けろ、で、砕けてばかり。叱られてはふくれて...

どうして

どうして助かりたいと思ったのかも分からないし、どうして助かったのかもわからない。阿弥陀様の願いだし、阿弥陀様のおはたらきだから。嬉しいのと有り難いのが分かるのは、不思議です。...

だから

自惚れてはいけないと思うのです。お念仏をさせていただく度に。...

私が偉いのではありません

当たり前のことですけど、私の努力の結果ではありません。私の苦労の甲斐あってでもありません。私の感覚が鋭かったからでもありません。私に学問があったからでもありません。たしかに、有り難い出会いもありましたし、苦しい時もありました。けれどもそれがあったから、ではなくて、それも阿弥陀仏のお計らいだと思うのです。私の手柄にするものは何一つないんです。私のほうには、何一つ間に合わせることのできるものがないから...

もう師走

早いもので、気が付いたら、もう12月なのですね。子どもができてからでしょうか、慌しさの中で季節感というものが薄れているのか、私の中のカレンダーは、いつも実際の暦から2、3か月くらい遅れているようです。もう新学期?もう夏休み?もうお正月?という感じです。でも、この一念の信心は、時間の経過を感じないんです。過去のことにならないんです。今もずっと、その救いの中にあるままなので、安心が変わらないのですね。...

対機

話をするとか、何かを伝えるというのは、相手のあることなんですよね。人は千差万別です。経験も智慧も正確も、そのときの感情や状態もあります。正しいことでも、そのまま受け入れられるとは限りません。かえって反発を招くこともあります。それを承知で言わなければならないときもあるのでしょうが、相手が受け入れやすいように、相手に合わせることは大事だと思うのです。自己満足のためではなく、相手にわかってもらうためなの...

恩を知る

自然のことわりにあひかなはば、仏恩もしり、また師の恩もしるべきなりと云々。(歎異抄)自ら人の恩を感じてうやうやしく報いようとするような、そんな殊勝な心をもった私ではありません。人に手を差しのべようとするのも、自分に余裕があるときだけ。自分が苦しくなれば、自分の事で精一杯の、愚痴の塊が私です。それでもそんな私でも、み法を仰ぐこの日々で、師の恩とその有り難さを忘れたことはありません。それはいつも変わる...

我が身のこと

本当に自分の問題となったら、人のことをどうにかしようという余裕はなかったです。それまではどこか人ごとにして逃げていたんだな、とも思いました。実際、まず自分が知らなければ、人にも伝わらないと思います。本当に自分が知らされたことでなければ、口だけ真似しているということではないでしょうか。素晴らしいですよと言っても、素晴らしさの実感がないのなら、素晴らしいらしいですよ、ということだったと思います。今、こ...

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