真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2010年04月 ] 記事一覧

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町内の総会

町内の区の総会に出席しました。いつもは委任状を出して欠席ですが、今年は組長ということでやむなく…。主人が非番で明日も仕事ということで私がやむなく…。当然組の方も欠席で委任状の方が多いのですが、総会に出てみると、ご年配のご主人が圧倒的でした。若い方はどうしても仕事家庭が中心になりますので、仕方ないと思います。私の組で出席されたのも年配のお二人で、組の行事や決め事の時はなにかと頼りになる長老的な存在です...

私は凡夫

スーパーマンになるのではないです、とありましたが、超能力者になるのでもないですよね。わからないことがわかるようになるのでもなく、わからないままの私に阿弥陀さまの仰せを聞かせてくだされるのです。ですからお念仏のみぞまことと知らされてはいますが、人の心の中まで見透かせるようになる訳でもありませんものね。逆らってはいけない、なんて仏さまに対してだけで、凡夫の人間に対してではないと思います。学識や経験とし...

今日はいい天気です

明日からゴールデンウィークなのですね。楽しいご予定のある方、お仕事のある方いろいろかと思います。お天気がいいといいですね。心もいつも日本晴れ…だといいのですが、いろいろ雨や曇りの日もありますが、阿弥陀さまの光明は私の煩悩の雲にも遮られず届いてくださいますね。正信念仏偈のとおりです。私を助けるというご本願に疑いがなく、阿弥陀さまに助けられるというのが私にとっても救いとなっているのは、阿弥陀さまの願い...

雨の多い春です

今年の春は天候不順で雨ばかりです。今日もしとしと降っていますが、お念仏のお慈悲はお天気に変わりなくいつも降り注いでくださっておられるのですね。ご一代記聞書に親しませていただきました。その時々によって感じるところ印象に残るところが違うので、いつも気付かされるところも多いです。昨日、「足元を見ながら進んでいきたい」と書きましたが、そのようなことが書かれてあるところに目が留まりました。(191) 一 行くさき...

責任

往生は、ひとり一人のしのぎです。如来さまに向かって私は私の足元を見ながら歩いていきたいと思います。私の考えは、誰しもこうでなければならないということではもちろんなく、教えようなどというつもりは毛頭ありませんし、人様に要求するものでもありません。ただ言葉にすることによって自分でも気付くこともあり、気付いたことは言っていただくこともできます。ですからここでも、自分の知らされたこと、自分の思いを綴らせて...

とはいいながら年度始めで

この四月は、二人の子どもの入学入園に加えて、町内の役員もあたって、それが委員を三つくらい兼ねるので、やれゴミの分別の仕方の研修だ、健康促進の講義だ、町内の総会だ、役員の引き継ぎだ…と年度始めらしく家の外での用事が多くて珍しい月になっています。以前に住んでいた市街地では、住民同士の人間関係もどちらかというと希薄で役員をやってもここまでのことはなかったのですが、やはり昔からの田舎の「寄合」という地元の...

まだまだこれから

これからだ…なんて言うと、目的だ、完成だ、と刷り込まれている人にはわからないかも知れませんが、ここからですね。私は、もちろん説く立場でもないのですが、間違ったことを"教える"というのは本当に罪なことと思います。一旦染みついたものは、なかなか自分でも気付けないほど染み込んでいたりするのですね。ご信心とも関係なく。関係するところもおそらく。そしてそれは、何気ない言葉にも表れたりするものですね。こわいなっ...

それぞれの、お仕事

きのう書いたことの追記ですが、阿弥陀さまと善知識では、なされるお仕事が違うということですよね。お示しくださる方もご自分の仕事に力を尽くしてくださるから有難いのですし、自分の仕事を果たそうと思ったら努力しなければならなので、そんな知識方のご努力があって今日まで伝えられて今も私に聞かせてくだされるのだと、感謝しないでいられません。南無阿弥陀仏...

善知識とは

例えば、「誰々は誰々の善知識である。」言い方としてはおかしくはないはずなのですが、以前からこの言い方に、すごく変な感じを受けることがあります。どうしてでしょう、多分、そのように言っている方の言葉に以下のようなニュアンスを感じるときだと思います。「誰々は誰々から聞いて救われた。だから、誰々は誰々に逆らえない。」(絶対服従状態にある。)想像するに、知識帰命しないと阿弥陀さまに帰命することはできない(知...

素晴らしさ

南無阿弥陀仏のお力、素晴らしさ、お聖教にあるとおりと聞かせていただきます、読ませていただきます。だけど、南無阿弥陀仏のお力の素晴らしさをわかれ、わかった者を助ける、ではありませんでした。それもわからない私を助けるの南無阿弥陀仏だから素晴らしいのですね。計り知れません、私の心には入りきりません。だけど不思議に称えられるようにしてくださった、なんまんだぶつです。...

皆さまお疲れさまです

今日は…あかん。疲れて何も出てきません。(脳と身体が。精神的には、至って元気ですよ!)そんな日もありますよ…でも、何か書きたくて。無理してるわけでもなくて。なんまんだぶつが言いたくて。なんまんだぶつが南無阿弥陀仏...

疑情のさわりにしくぞなき

疑い一つが妨げでした。この広大なお慈悲を疑うとはほんとうに恐ろしいことです。疑いようのないご本願と、聞かせてくだされるのです。南無阿弥陀仏がなんまんだぶつ...

有難い方々

私には、有難いことに、尊敬している方が何人もいらっしゃいます。そんな御同行の方々は私にいろいろなことを感じさせ学ばせてくださいます。(先程もいっぱいお話させていただき、ありがとうございました。楽しかったです。やっぱり思ったことを言える信頼関係って大事だなと思いました。お互い、誤解があると大変ですものね。)でも、何か阿弥陀さまに帰命する前に、誰か人に帰命しなければならないということは、ありませんし、従...

どう生きるか

どう生きるかを捨てて、なぜ生きるかを求めよ…少し違うのではないかと思います。私は、どう生きるかが定まったんだと思います。如来さまに向かって生きる。…うまく言えません。またいずれ…南無阿弥陀仏...

マインドコントロールについて

宗教関係でよく言われる、いわゆるマインドコントロールですが、これもご信心とは関係ないと思います。お救いは、御文章のお言葉で言えば、彌陀をたのんだかどうか。つまりご本願に疑いなく往生への道が定まってお念仏申すかどうかだけです。何かのマインドコントロールの下にあったり、それが残っていたりしても、往生の身です。程度や深さもありますが、阿弥陀さまに形だけ向かって心が向かない、彌陀の救いと一応は言いながら、...

見えなくても船に乗っているから

海を難度海とすれば、ご本願は船と聞かせていただいております。この前拝読したご本に、お浄土がわかったり見えたりするわけではないのにどうして往生間違いなしなのですか、ということについて書かれてありました。東京へ行くのに駅で東京が見えますか。東京行きの列車に乗ることだけを考えるでしょう。東京行きの列車に乗ったらば景色に東京は見えなくても東京に行けるのにもう心配がありますか、乗ったら着くまで窓から景色を眺...

ただ今

いきなり本願海。ザブーンと飛び込んで、終わりです。どうして?どうやって?は阿弥陀さまが五劫と兆歳永劫やってくださったことなので、私にはわかりません。有難いことです。あとは浮かんでいてもよし潜ってみてもよしなんまんだぶつと泳いでいるだけです。端も見えない位広くて深いから、出られませんよ。名号でできた海だから、なんまんだぶつと出てくるのでしょうか。...

ないものをあると思う心

救われるまでの過程があると思う(自分で間に合わせようとする)のが自力の心でした。本願力のご回向だから、過程も方法も自分の側にはないと知ったのが、過程の最初で終わりではないでしょうか。どうしてご回向としてくだされたのか、計らい自力捨てよと言われるのか、自ずと知らされました。名号を受け取る。つまり六字の謂れを聞く。つまり仏願の生起本末を聞いて疑心あることなしと聞く。つまり自力の心をすてて本願に帰する。つ...

子どもも親もこれからです

昨日は小学校の入学式でした。幼稚園では一学年3クラスだったのに、田舎なので24人一クラスだけになってしまいすこし寂しい感じもしましたが、先生方によくみてもらえていいかも知れません。式の前に教室に入って、担任の先生との顔合わせそして早速入学式での挨拶の練習になりました。「お話される人が『おめでとうございます』と言ってくださったら、『ありがとうございます』と言うんですよ」…式が始まって、校長先生のお話、...

阿弥陀さまの御心

性格は関係ないので、性格の違いは当たり前と言えば当たり前ですが、私は人一倍疑い深い人間です。冷めていますから熱狂とか心酔とかはできません。感情を出すことも苦手です。飽きっぽく物事も続きません。そんな私ですが、毎日お念仏させていただいて、阿弥陀さまの御心を聞かせていただくと涙せずにいられないのは、やっぱり私の心ではないのです。私はそんな殊勝な心の持ち主ではありません。阿弥陀さまのみ心なのですね。現に...

春ですから

結構続いていますこのブログ。数人の方を除いてどんな方がどのくらい読んでくださっているのかも分かりませんが不思議なものです。いつもありがとうございます。私は極度の恥ずかしがり屋なので、あまり私生活のことも書けません。。。少々のことを書いたからって私が誰か分かるものでもないし、知られたところでどうってことはないのですが、警戒心はかなり強いです。そういえば先日テレビで、「人見知り芸人」というのをやってい...

泣きに泣いて

こんなお話もあるんだな…と心に残りましたので。問 いよいよはや、この世のおいとまも近づきましたが、最後のお聞かせを頂きとうございます。答 ご病気のお苦しみはさぞかしおつらいことでありましょう。しかし、しばらくのことですから、がまんして下さいませ。お床の中に居られて、今までのなされたことを思いおこされることは無駄なことです。うれしかったことも、悲しかったこともすべて夢のように、あとかたもなく消え去り...

記憶の片隅の言葉

「倒れた法友の屍を踏みこえてゆくんだ」そんな言葉だったように思います。苦しい道、誰でも残れる訳ではないんだ、残って最後まで求めることができた人が絶対の幸福という栄冠をつかむことができるのだ…そんなとんでもないイメージでとらえていました。まだ学生だったころ。いつしかそんな言葉も記憶の片隅に追いやられて忘れてしまっていました。全然そういうものじゃないから、別にいいんですけれども、ただ…もしかすると、屍を...

人として

4月、出会いの季節ですね。私が好きだった歌…人として歌手:海援隊 作詞:武田鉄矢 作曲:中牟田俊男遠くまで見える道で君の手を握りしめた手渡す言葉も何もないけど思いのままに生きられず 心に石の礫なげて自分を苦しめた愚かさに気付く私は悲しみ繰り返す そうだ人なんだ人として人に出会い 人として人に迷い人として人に傷つき 人として人と別れてそれでも人しか愛せない夢を語り合えばいつも言葉はすぐに途切れてしま...

愚か

忘れてしまいたいと思っても、やっぱりどこまでいっても私というものに煩わされてしまいます。辛いことはやっぱり辛いし、どうでもいいことに悩むけれど、それが往生の障りにはならないのはやっぱり有難いことです。本当に愚かだなあと思って、それでも、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ…こんな私でもいいよと言ってくださる。それでもいいよ、と言ってくださる存在があるから、このまま身をまかせていよう…何ものも、私と阿弥陀さ...

楽しみ悩み

ご本を読ませていただく楽しみもいただきまして、暇をみては少しづつ拝読しておりますが、殊に加茂和上様のものは、しばしば感極まって胸がいっぱいになってしまいます。問答形式になっているものが多いのですが、どこを取っても、安心の要といいますか、他力の御回向というところが押さえられているように感じられます。それと独特の流れるような語り口も相まって、阿弥陀さまの大悲が胸に迫ってきてしまうのです。゜。°。°。°。°...

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