真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2010年06月 ] 記事一覧

六月も終わり

早いですね。もう今日で6月も終わりなんですね。どうでもいいことばかり考えている私ですので、お念仏しようという心が勝手に出てくるような私ではありませんでしたが、折に触れて努めてお念仏させていただかなかくてはと思わせてくだされるのも、阿弥陀さまのおはたらきでした。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、なんまんだぶつ。特に何もなくても、なければないでよかったよかった、なんまんだぶつ。今日もありがとうございました。...

驚き

驚きが立つと聞いていたことがあって、想像していました。待っていました。驚きが立つのを。今まさに死や後生や苦しみが現実のものとして迫ってくるかのような驚きが立ったらいいのか、立つのではないかと。そんな驚き私には立たないです。そんな殊勝な心を私は持っていないし起きないのです。だから、このまま驚かないまま…死ぬところまでいきますよ…と言っても「死ぬところ」っていつですか。現実には今もう死ぬところかも知れませ...

ランチ

久しぶりに姉に会いました。ランチをしながら愚痴も言い合ったりして楽しみなひとときです。人生は苦なり…のような話になって…うんうんそうだよね、という話になって…仕事柄、病気の方やお年寄りの方と接して愚痴を聞かされることも多いらしいのです。「ああ自分もこんな風になるのかな、苦労して歳をとって…何の為に生れて来たのかな…」と言います。今まで色々苦労してきたことも悩みを抱えていることも知っています。何からどう...

如来選択の願心

「選択」って有難いなあと思います。既に阿弥陀さまが選択してくださっていたのだと。いろんなところにあると思いますが、今日たまたま読ませていただいていたところでは …やがて法然聖人は浄土門の教えを体系的にまとめ上げた『選択本願念仏集』を著します。そこに著された浄土門の教えは、単に自力聖道門に耐えられないから、他力浄土門の念仏にすがりつくといった、一般仏教からの逃避でも堕落でもなかったのです。法然聖人が...

私を忘れないようにしたい

私にとって浄土真宗のお法とは「全人類が聞かねばならない教え」ではなくて、「私が聞かせていただかねばならない教え」です。そういうものとして家族や身近な方に阿弥陀さまお念仏をお伝えしていきたいです。仏さまのお話は、わかりやすくはないけれど、自分の身に引き懸けて聞けるようになっている、と深川和上様の本の中にありました。本当の仏さまのお話は、聞き求めないと地獄だぞと脅したりしなくったって、聞きたい、私が聞...

わかりやすさ

仏さまのお話に、私基準のわかりやすさを求めてはいけなかったのだと思う。阿弥陀さまの智慧の世界とそのおはたらきは人間の私の思議の及ばない世界。だから何もできない私の為にお念仏を選び取って回向してくださって助けるとの仰せでした。仏智を頂くといってもその南無阿弥陀仏をいただくのであって、仏さまの智慧がつくはずもなく賢くなる訳でもなく。わかりやすい、わかりやすいとの宣伝文句は、ある意味「わかりたい」という...

包まれて

疲れたり、ため息の出るような気分のときは、阿弥陀さまの前でごろんと横になるのが一番ですね。そのまま少し眠ってしまいました。ふと目に入ったお言葉「凡夫、煩悩の泥のうちにありて、仏の正覚の華を生ず」なんまんだぶ なんまんだぶ。...

救われていないと言う中の救い

宗教によってその救いは異なりますから、求めるものが違えば信じる宗教も違うということになっているのだと思いますけれども。聖人さまが顕かにしてくださった浄土真宗のご法義というのは、やはり特異なものと思います。素晴しいお法だと思います。学問的なことは詳しくない私でも思うことは、得られるご利益が素晴しいということはもちろんなんですけれども、その手だてが他には有り得ないことだと思うのです。本願力回向というこ...

真剣に願い求めてくださったのは

私が普段欲望で思い描く「願いが思い通りになる」ということは、当たり前なんですが、「私の願い」なんですね。ところが浄土真宗のお救いは「阿弥陀さまの願い」だったんです。仰せのとおりでした。どう考えてもそうだと知らされるばかりなのです。またそうでなければ救えるような私ではないんです。私で打つ手はないんです始めから。求める心も起こせない。そういう者であると阿弥陀さまは十劫の昔にみそなわしてあのような選択本...

勉強会にて

昨日今日と勉強会に参加させていただきまして、有り難い二日間でした。全国から来られた方は動機もこれまで学んでこられたことも様々でしたが、訊ねられても話せなくてだからもっと学びたいと言われる方や、興味があっても全く知らないから触れてみたいという方、浄土真宗のみ教えを知りたい学びたいというお気持ちは共通していて、先生方もご熱心でこうして一緒にお聴聞させていただくご縁をいただいていることが不思議で有難く感...

京都にて

思い切ってといいますか成り行きで京都に一人旅に来ています。といっても気ままな旅行という訳でもなく。主人を仕事に送り出して、上の子を小学校の分団登校に見送って、下の子は幼稚園の始まる時間まで実家にお願いして、家を出ました。駅のホームに着いたら間もなく列車が来て、すぐに乗り込んで…ああ、間に合った…スムーズに来られるように前もって駐車場の位置も調べて、切符も買っておいて良かった…思えばお化粧もしていない…...

超世

小さな頃から善いことをすれば善いことが返ってくるんだよと教えられて、勧善懲悪のお話に共感してきました。そのとおりだとも思い、努めてきました。だけど私にはまことのこころがありませんでした。だから迷いの世界から離れることができません。それをご存知の阿弥陀さまは「どんな悪いものでも救う」とお誓いくださいました。悪いものと知らされた善人のみを救う、でもなく、悪人のままでも救う、善人と自惚れている者でも救う...

如来さまのお話

手当たり次第にという訳にもいきませんので、お勧めやレビューにを参考におみ法を仰がせていただくご縁にとお話に触れさせていただいたりしますが、やはり心に響いてきますともっと聞かせていただきたいなと思ってしまいます。法をお示しくださる方はたくさんいらっしゃって素晴らしい方はたくさんいらっしゃると思いますが私も知らない方ばかりで、批評するなどめっそうもなくそんなつもりも意味もありませんが、それぞれ特長があ...

凄まじいお言葉

(『浄土を願って生きる』から の続き) その無縁の慈悲の典型が阿弥陀如来さまの慈悲なのです。『大無量寿経』によれば、皆様もご存じかと思いますが、法蔵菩薩が、師仏であらせられる世自在王仏にお遇いになり、そのお徳を讃嘆しつつ、ご自身の誓願を述べていかれる「讃仏偈」とも呼ばれる素晴らしい讃歌が説かれています。その一番最後のところに、ご自身の決意を述べて、  たとい身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが...

浄土に向かった旅

回向ということを巡って六字釈を味わわせていただき、そこで心に残りましたことを少し書き留めておきたいと思います。『浄土を願って生きる』から梯實圓和上の「六字釈のこころ(其の二)─発願回向釈─」より 「回向」という言葉は、方向を転換して、新しい方向にむかっていくということを表す言葉でした。サンスクリット語の「パリナーマ」の訳語ですが、もともと方向転換するという意味をもっていました。「行文類」の六字釈では...

なんまんだぶ

パソコンに「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏されている文字が出ていたのを、最近ようやくひらがなが読めるようになった娘が見て、「なんまんだぶってなんまんだぶつのこと?(いつも仏様にするなんまんだぶつのこと?)」と訊いてきたので、そうよ、○○も仏さまになんまんだぶつしてね、と話すと、またお仏壇の前に走っていきました。お仏壇に合掌礼拝すると私が喜ぶと思ってしているのかもしれません。それは本当に嬉しいこ...

日記

学問は難しいに決まっているので、難しくて当たり前だと思います。でも私なりの学びの慶びもありますし、ここから自分がどう生きるかが本当に問題になり大事になってくると思うので、そういうときにやっぱりお聖教や先生方御同行様のお言葉はいろんなことを教えてくださるように思います。南無阿弥陀仏のお法が私に届けられてくださっているといっても、決して自分のものになった訳でもなく、なることもない、恐れ多いことだったと...

煩悩の私

ご信心は消臭剤のように強い香りで臭いを感じなくさせたり、消臭成分で臭いを消してしまうようなものではなかったんだなあと思います。悲しいことは悲しいし、苦いことがやってこればやっぱりそのまま苦しいのです。縁によって何かと悩み煩う。煩悩しかないというのはそういうことなんだろうなと思います。でもそんな、悲しい愚かな凡夫のままで包んで護ってくださるこのお念仏が静かにいつも流れてくださるところの限りない温かな...

師ありて弟子なき道

この本もよさそうだなあと思って勧められたりするとついペースも考えず取り寄せたりしてしまって、きのう届いた本をぱらぱらとめくっていたら、目に留まりました。お法をお伝えするということはあっても、そういうことなんだなあと思います。師ありて弟子なき道豊島学由師の『人間の願いと如来の願い』から教えを私物化してはいけないということ。私が教えた、育てたんだと、我が出たら、それはもう仏法ではないということ。日蓮宗...

名も無い

私もそうですが、人知れずともお念仏を慶ばれておられる方はたくさんおられるのだと思います。「何度でも言わずにおれないはずだ」と繰り返し聞かされていたために、大々的に宣言しないでいられぬものかと勘違いしていたこともありましたが、むしろそういうことは関係ないんだと知らされました。「私が」ということは慶ぶべきことですが、慶びというもの表れ方に決まりはなく、自慢したり誇ったりするようなこととは違います。特別...

聞かせていただくところ、慶ぶべきところ、御恩を知るということ。

18願のみこころ、阿弥陀さまの、必ず助けるの疑いのないお喚び声を聞かせてくださり、その南無阿弥陀仏が現に今私に届き続けてくださっていることを慶ばせていただき、遠くからの如来さまのお育て、御知識同行さまのご勧化あればこそのこのお救いという御恩と、知らされました。阿弥陀さまのお救いを、聞かせていただき慶ばせていただきその御恩に報いるのがお念仏の道と知らされました。そこからが始まり、これからも歩んでいき...

邂逅

少し前ですが、懐かしい方々に久しぶりにお会いしました。一人でもいいですが、集って話し合えばよりよろこびも増しますね。楽しくて時間はあっという間に過ぎてしまいました。皆さんそれぞれ素敵な個性があって頑張っておられて、輝いておられて、私も見習いたいと思いました。人の縁というものは不思議なものですね。つくづく有難いと思います。あの日あの時ああしてくださらなかったら。いろんな方のたくさんの御恩あっての私で...

公園にて

いいお天気で主人もお休みだったので広い公園に出かけました。大きな滑り台があって子供たちは歓声を上げながら何度も滑っていました。上の子がまだよちよち歩きで一人で長い階段を上まで登れなかったときも、抱っこしながら一緒に滑ったっけ。もう一人で登って滑れるようになったんだなあ…さわやかな風の通る木陰の下で、いろんな想いが巡って胸が一杯になってしまいました。木漏れ日がキラキラと輝いて…子どもの笑い声と主人の笑...

聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなり

記憶力がないので忘れてしまっていることも多いけれど、前にいた会で、どうしたら助かるのかという話はしないほうがいいからほとんど書かれていない、聖人も救われた後の世界ばかり語られているし、それが一番いいというようなことを言われていたように思います。確かにどうしたらということはないのでそれはそのとおりなんでしょうが、救われた後の世界、というより、阿弥陀さまが十方衆生すなわち私を如何に救ってくださるか、現...

十劫久遠

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど  塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ久遠実成阿弥陀仏 五濁の凡愚をあはれみて  釈迦牟尼仏としめしてぞ 迦耶城には応現する (浄土和讃)久遠実成の古仏の阿弥陀さまが私を助けるために十劫の阿弥陀さまとなってくださったのですね。なんまんだぶつ...

振り返るに

私は救われていません!…と言うのは、あるにしても大きな声で誇るようなことではありませんでした。「必ず助ける」というご本願とは「この私を」必ず助ける、今助けるというお力のあるご本願なのですから、その阿弥陀さまの無量無辺のお力を、私は疑っております!…と言っていることに他ならないのです。南無阿弥陀仏のお謂れ、仏願の生起本末、私にかけてくださったご苦労を聞かせていただいたならば、どうしてその広大なお慈悲と...

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