真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2010年11月 ] 記事一覧

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御恩

どんなことでも、阿弥陀さまのお救いの御恩を慶ぶ縁とさせていただけるのは有り難いですね。なんまんだぶつと称えさせていただけば、御恩報謝。称えようと、私には無い心をくださるのも阿弥陀さま。報謝になるまで称えてはいけませんよ、という意味ではなかったんです。ただ今が御報謝のお念仏と疑いなく聞きなさいとの仰せ。確かに、私の側からは御報謝としかなりようがなかったのです。称えさせてくださる阿弥陀さまの御心が、そ...

発表会

昨日は娘の幼稚園の発表会でした。去年は会場で私と離れられなくて、舞台の上でも半分べそをかきながらやっとやっとという様子だった娘も、今年は元気一杯で演じ、一年で成長したんだな…と思います。去年ここで演じていた息子も今年は小学校で観客になって一緒に楽しんでいました。一年前のことが、つい昨日のことのようです。またたく間に流れていく月日の中で、子どもの成長を味わい喜ぶ度に、阿弥陀さまのお慈悲疑いなく信じて...

念仏者の生き方

 仏陀の智慧と慈悲こそ真実であると知らされた念仏者は、愛欲と憎悪を超えた涅槃の浄土こそ私たちが目指さなければならない真実の領域であることを思い知らされます。もっとも、それを知らされながらも、自分の現実は、それに背いて愛蔵の泥沼に足を取られそうになっている危ない足元を懺悔せずにおれません。ただしかし、阿弥陀仏の本願を聞き、煩悩を超えた涅槃の浄土に向かって歩んでいくのだという生きる方向性を与えられてい...

仏法を主とし、世間を客人とせよ

思ってはならないことを思ってしまうのが私だけれども、それを、「思ってはならないことなのだ」と知っているのと知らないのでは全然違うと思います。思ってはならないことだと知っていれば、当然、行為として出すことも慎みます。また、そのように生きるのが如来さまに照らされている私の生き方だと思っています。仏法を、己のために利用するというのは、本当に恐ろしいことだと思います。自分も周りも気づかないというのも、もっ...

いつでも私の居るところに

今日も、はっとさせられました。なんまんだぶつをさせていただくのも、家庭の中で生きている私のままでさせてくだされる。他のどの場所でもありませんでした。お念仏させていただくのに何か必要なものがある訳でもなく、何か気にしていなければならないということもありませんでした。様々なものが溢れ、色々なものに囲まれて、愚かな私はつい方向を見失ってしまいがちになります。しかしいつも、時に諫め行くべき道を示しお勧めく...

本師本仏の阿弥陀さま

少し前から、阿弥陀仏が本師本仏であるということの、「本師本仏」とはどういうことなのだろうかということが疑問に思っていたのですが、つまり阿弥陀さまとお釈迦様の関係ということですが、人にお聞きしてみたりいろいろな本に触れられているところを読ませていただく機会もあったりして、そういうことだったのかと少しずつ知らされていくように思います。以前当たり前のように聞いてきて疑問にも感じなかったことに疑問を感じて...

人や場所が変わっても、間違えるのは人間。変わらないのは阿弥陀さま。

人も、すべて、この世のものは無常だと感じます。そんなあてにならないものにすがりたいのが私なのだと思います。変わらないものと信じて、すがって安心したい。この人は、この場所は、大丈夫だからと思いたいその心は、私を大丈夫にしたい、私が大丈夫になりたいと思う心そのまま。だけど、どこまで行っても、求めても、探しても、私に真実はありません、生まれませんから、それは無理な話。誰かがどこかが崩れたら、阿弥陀さまが...

寂しいこころ

みんな寂しいのだと思います。私もそうです。わかって欲しい、認めて欲しい…けれど、そんな煩悩を抱えたままでもいいんだよという阿弥陀さまのお救いなので寂しがるような自分でもいいんだよと寂しいと感じる自分であっても否定されることがない阿弥陀さまがいつもいてくださるという寂しさの無さ。寂しくても、寂しくない。寂しさの中にも、阿弥陀さまのお慈悲があるのかな…なんまんだぶつ...

読書

読書の秋という訳でもありませんが、この秋は素晴らしい本や読み物に多く遇わせていただきました。やはり仏教のお話は専門用語が多いので、言葉の意味がわからないと読んでも入っていかないものですが、何度も触れているうちにわかってきて、そうすると、理論的な文章というのは伝えたいことがはっきりして組み立ててあるものですから、長くてもわかりやすいものなのだなと最近は思います。ただ、何か資格の勉強のようであったり、...

阿弥陀さま

阿弥陀経についてお聴聞させていただきました。なぜ阿弥陀と名付けるのかというお話のところで、「光明が無量であり、寿命が無量である。無量とは量り知れないということ、限りがないということ、光明とは横、寿命とは縦」とお話くださいました。寿命が無量であるから…いつでも、光明が無量であるから…どこでも、時間と空間に縛られることのない、いつでもどこでもおはたらきになる阿弥陀さまだから、私が今いるままに救われ続ける...

仏さまのまこと

今日もいい天気です。お布団を干しました。でも雨や曇りの日、雪の日や風の強い日、台風の日もあります。天気が変わるように私の心は変わり通しです。人恋しくて寂しかったりするのも、何も変わらないと思います。それでも、毎日お日様は登っているように、私の闇にも光は届いて照らされ続けて、自覚はなくてもそう知らされて、私は阿弥陀さまに包まれた大きな温もりと安心の中にいます。けれど、阿弥陀さまのお救いは私のちっぽけ...

必要ない

私には「なんまんだぶつ」だけでよくて私には他に言う必要も、書く必要もないのだけれど必要もないということも聞かせていただかなければ私にはわからないから。私一人のためにご苦労の末に選んでくださった阿弥陀さまの阿弥陀さまそのままがなんまんだぶつ...

勧めること

私が聞かせていただくということ。だから、人にお勧めすることがあっても「私が聞かせていただくことをお勧めする」のであって、「人に勧めることを」勧めるのでも、勧められるのでもありませんでした。長い間、自分こそが聞いていませんでした。これからも、縁ある方にお勧めしながら、自分が聞かせていただいていく道ですね。お聴聞は一生の御恩報謝とこの身に知らせていただいたのが、有り難いことと思います。なんまんだぶつ...

私の道

人それぞれの過去があって考えも違うのに、それでもどなたも浄土真宗を自分のこととして聞かるようになって、それぞれの御恩報謝に努めておられるのだなと感じます。私もがんばろうと思います。「同一に念仏して別の道なきがゆゑに」別の道はないと仰せのとおりに、お念仏の道…素晴らしい道です。阿弥陀さまが一人ひとりにお与えくださるのですから、私だけの道でありながら、皆が同じ道です。一歩一歩、歩いていきます。いつでも...

崩れてしまっている

そこにしかない幸せなんてあるんでしょうか。まして「本当の幸せ」と言っているものが、ここでしか手にすることはできませんよ、余所は全部偽物ですよ…なんて誰かの売り物でもないでしょうに。そこの人ではない他の人が喜んでいたら、もうそれだけで崩れてしまうような幸せが?だからそんなものは私の中では崩れてしまっています。お誓いそのままにこの私にも阿弥陀さまから届いていますから。ここでしか聞けませんというのは人の...

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