真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2010年12月 ] 記事一覧

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年の瀬に

年の瀬も押し迫ってまいりました。年が終わっても、変わっても、変わらないものに身をゆだねていられるというのはこの上のない安心ですね。思えばこのブログも二回目の年越しです。私が伝えたかったことは、阿弥陀さまのお救いは会の所属には関係がなかったんだという当たり前のことなんです。阿弥陀さまの光明は、どこかの建物の中にだけ、どなたかのお話しを聞いている時にだけはたらくというような小さなものではありません。救...

一人でも何人でも

今年もよいご縁に恵まれて、たくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。真宗の学びというのは、本当の意味で信心獲得してから始めることができるのだと思います。信心決定には何も要りませんから、信心決定してからが本当のスタートだと言われたのはそのとおりだったと思います。振り返ってみると、そんなに間違ったことはできないだろうという先入観もあって、人の言われるままに雰囲気にも流されて小さな...

「獲信のために」としか思えない心

善を勧めないということは、獲信のために悪をせよということか?私はこのようなことを聞いたことがありませんので、このように言われる方があるということ自体が信じがたいのですが、(たまたまごく一部の方なんでしょうけれども、)このような考えがあるとしても、「獲信のために」と言っている時点で間違いですよね。話の前提が間違いなのです。発想が浄土真宗から離れてしまっているのです。「私が何かをすることによって獲信で...

本願

今日は学校の終業式で、明日からもう冬休みです。また子供たちとのドタバタの生活が始まるのか…と思うとため息も出そうになりますが、それもしばらくのことですね。みんな元気で健康で有り難いです。二学期もあっという間、この一年も本当に早かったですね。今までで一番早かったように思います。今年も、本当に幸せな一年だったと思います。幸せって何でしょうね。獲られますよ、獲なければだめなんだ、と言いながら、そこに向か...

うれしや、尊しや…

豊島学由師の『蓮如の生涯』(国書刊行会)という本を読んでいます。江戸時代に浄信房充賢という方が書かれたものを現代語に訳したもので、まえがきに「難解な解説書や学術書とは一線を画し、上人の思想や伝説がやさしく、生き生きとした姿で描かれている」とあるように、読み物としても面白く、一話ごとに味わい深いご信心のお領解の心が記されてあって、またそれが何とも言えず有難く、涙なくしては読めません。【信心の智慧】 ...

救いに条件があることにすると

いわゆるマインドコントロール(MC)について。これもこういうものだろうという勝手なイメージや想像だけで話をしないほうがいいと思いますが、乱暴な言い方をすれば、最終的には私の判断力や思考力を奪うもしくは非常に弱い状態にしてしまって、目的に関わる判断を特定の組織もしくは人に依存するようになり、自分で考えない、判断しないことを自らもよしとしてしまう状態にするんですね。目的に関わる判断とは、宗教であるならそ...

真の知識

善いことをたくさんしたほうが、「早く」救われると思いますよね。善いことも要らないなんて、信じられませんよね。善いことをしていることに誇っている方々にとっては、じゃあ悪いことをしていてもよいのか!と怒りたくもなるのでしょう。浄土門を明かにされた法然聖人は何と素晴らしい御方なのでしょう。本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人真宗教証興片州 選択本願弘悪世還来生死輪転家 決以疑情為所止速入寂静無為楽 必以信心為...

善悪を超えた救い

いろんな宗教と言われるものがありますが、どこにも共通するのが「善い行いの勧め」だと思います。その教義なり団体なりで、勧められる「善」の言われようが違っているだけで、結局「その教団(教団の権威)が勧める善い行いに励みなさい」というものだと思います。そしてたいていは、「教団で言われる善悪の基準」に疑問や計らいを入れることが禁じられる訳ですから、「教団で言われる善悪の基準」がそのまま「私の善悪の基準」に...

ひじり名聞

口伝鈔を少し読ませていただきました。十七条には「一 凡夫として毎事勇猛のふるまひ、みな虚仮たる事。」と題されてあります。梯和上の『聖典セミナー口伝鈔』には、 第一七条は、勇猛な修行者のように振る舞って、自らも迷い、人も惑わしている、偽善的な浄土教徒を戒められた一段です。とありました。 因果の道理や、無常を深く信じることができるようになりたいと思っていた頃、何が起ころうとも、たとえ愛する人と死別する...

無量の阿弥陀さま

0(ゼロ)という数字が「ある」。ゼロですから、数の量としての中身は「ない」のですね。私もゼロだな…と思います。往生できるような種はゼロ、持っていないのです。持っていないばかりか、1にすることも、まして100や1億にすることもできません。種といえば地獄行きの種しか持ってないのです。横着だ…も何も仏様からご覧になればまさに横着者の極致が私であって、そんな出離の縁あることなしの私を救ってくださるとの仰せで...

なんまんだぶつ

忙しくても、書いても、書けなくても、人に話しても、話さなくても、喜べても、喜べなくても、何かあっても、何もなくても、なんまんだぶつがあるからいいのです。よかったですね。変わることのない慶び阿弥陀さまなんまんだぶつ...

還るところ

私は主婦をしています。主人は曜日に関係のない交替制の勤務で、一応は時間の区切りで勤務の交替はあるのですが、仕事があれば処理が終わるまで帰ってこれないですし、突発の事案があれば休日でも呼ばれることもあるので、いつ仕事に出て行くか分からないですし、出て行ったらいつ帰ってくるかわかりません。主人にはほんとうにご苦労さまだと思います。主人と同じ職場の方には、共働きの方や仕事をしていらっしゃる奥様もみえます...

師走

もう12月なのですね。頭の中だけ2、3カ月遅れているようです。殊に近頃は月日の過ぎるのが特に早く感じます。それでも、過ぎていく月日に焦りを感じることもありません。幸せですね。それに、私の周りにはいつも、困ったときに手を差し伸べてくれる方、大切なことに気付かせてくれる方、安らぎを与えてくれる方、楽しい方、刺激をくださる方、反面教師…?いろんな方がいてくださって、本当に恵まれていると思います。何より阿...

タンポポ

午前中娘と散歩に出かけました。今日は風もなく暖かでした。道端に白いタンポポがたくさん咲いていて(後から調べたらシロバナタンポポというそうです)、何年か前もこの時期によくこの辺りを散歩していたのに、気付かなかったな…などと思いながら、当時はそんなことに気付く心の余裕も無かったようにも思い、ふと私は何も変わらないままと変わってしまった心を想い、不思議な幸せを感じました。出逢いと別れ…人の世の縁というもの...

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