真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2011年01月 ] 記事一覧

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善太郎さんの言葉

聞けよ聞けよの、お勧めが 耳に聞こえりゃ、機に合わず少しも聞く気の、ない奴に 不思議に聞く気が、起こりそめ御座を重ねて、聞くものの 聞いたばかりじゃ、味がない味わいどころか、苦しくて 無き疑の、起こり出し他力の、十八願は信じて来れと、仰有るが 信じにかかれば、自力なり頼んで参れと、仰有るが 頼みにかかれば、また自力まかせまかせと、仰有るが まかせば自力の、押しまかせおすがり申せと、仰有るが 柱にす...

証拠は

思う・思わないこと、言う・言わないことがあるとしても、私が「思わなくなったから」私が「言わないから」救われているのだとは言えませんよね。「私にこんな有り難く喜べる心が出てくるようになったから、大丈夫だ」「私にこんな心出てこないから、大丈夫だ」…違いますよね。それでThe end.「〇〇だから阿弥陀さまはお助けくださる」に私側の内容は入らない。私が〇〇だから…は全部捨てるのです。私が〇〇だから救われない、私が...

私の側の話は無用になる仏様の側の話

浄土真宗で聞かせていただくのは、いつでも如来様のお話です。あみださまの願いの生起本末を聞かせていただいて、疑いようのない御心が届いてくださるだけで、私が疑いないと思える確かなものをつかんで、私が必ずと言えるようになった、私の心で間違いないと言えるような確かな心を得たというようなものでは、なかったのです。私のあてにならない心でつかんでいるものではないので、これほどはっきりしたものはありません。だから...

信心をうれば暁になるがごとし

今日は久しぶりに朝からお日様が射して晴れています。このところずっと雪か曇りだったので、ホッとしています。というのも今週は幼稚園のバスの運行がなかったり、雪かき雪下ろしに追われて体が痛くなったり、あまりないことでしたが、これで少しは雪も溶けて落ち着くかなと。雪国の方は大変ですね…。事故なども多いようですから気を付けていただきたいと願うばかりです。久しぶりのさわやかな朝日に、やはり心は躍ります。一面の...

念仏まうさるべし

片づけ物をしていましたら、大好きな本が目に留まりましたので思わず手にとって開いてしまいました。何の気もなしにたまたま開いたページで、読ませていただいた私まで胸が一杯になってしまいました。二五 今朝のお勤めの後、蓮如様のご影前で「御一代記聞書」を拝読しました。その第一章の「道徳」を「仰順」と換えて、口の中で拝読しました。(自分の名を出してすみません) 「向岸寺の仰順、御前にまいりたるに、蓮如上人おほ...

白雪姫を見て

冬休みに子どもと一緒に見ようと思って、『白雪姫』の復刻版DVDを買いました。ウォルト・ディズニーの長編映画第一作であり、世界初のカラー長編アニメーション映画だそうです。美しい映像と音楽で、アカデミー賞も受賞している作品で、これが1937年に作られたものだとは驚きです。日本語の吹き替えでは白雪姫役の小鳩くるみさんがまた素晴らしく、娘も気に入って何度も見て楽しんでいます。お話はよく知られたグリム童話な...

無疑と不疑

稲城選恵和上の本を読ませていただきました。……真実の信心は無疑と先哲もいわれている。しかるに無疑と不疑とは同一の如く思われるが異なるようである。不疑の場合は現在今こゝでの場でない場合に用いる。たとえば明日の天気はテレビでも放送していたから晴天であると疑っていないという。しかし、今日の今の天気を晴天であると「疑っていません」という人はだれもいわない。本願には遇うという言葉を用いられている。『一念多念証...

拠り所は阿弥陀さま

阿弥陀さまからのお救いというものは、私と阿弥陀さまの間のことであって、阿弥陀さまがお救いくださっていることは私にははっきりしているものです。(はっきりしたのが救われたことではないですよ ^^)人さまのことについては、いずれどなたも帰するところなので、後先はあるものなのでしょうけれども、お味わいをお聞きすればそのとおりだなあと思うこともあれば、違うなあと思うこともありますが、それで信心が違うとかどう...

いのち

お夕飯にいただこうと思って冷蔵庫からお刺身のブロックを出すと、お刺身の大好きな息子がやって来ました。まな板の上に乗った刺身肉の塊を見た息子は決してふざけたりしてではなく合掌して「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」とお念仏しました。どうしてお念仏したの?と聞くと「だって生き物でしょ」と。お肉の塊を前にして、息子なりに魚という生き物を殺していただいているということを感じたのでしょう。いのちをいただいて私...

如来さまに遇う

「念仏を称えれば往生できる」「お念仏すれば往生できますよ」これが間違いだとか信じられないと思っていたのが、まことにそのとおりだったのですねと疑いなく聞いて受け取らせていただいているのが不思議です。この言葉を、自分が念仏を称えた功績によって往生できるという意味にとれば当然間違いですよね。しかし、「念仏を称えさせて往生させるとされた本願を疑いなく信じなさい」という、本願の念仏への疑いを戒めて信心を勧め...

得意不得意も関係なく

息子がクイズ番組や教養番組が好きなので、年末にもある番組を一緒に見ていました。漫画家のやくみつるさんは、相撲やスポーツなどに詳しくて、クイズ番組でもいつも漢字の知識が豊富で感心しながら見ていたのですが、そのときは「春日の局」が正解となる問題で、「お市」と解答しながら自分で「お市って誰でしょうね」と仰ったので笑ってしまい(私も分からないのですが)、「歴史が全く駄目なんです」とサバサバと敗退されていた...

本当の宗教

本当の宗教というのは、人を依存させるようなものではないと思います。ここでいう依存というのは、思考力や判断力を奪って思考停止をよしとするような状態のことです。計らいを捨てるというのは、考えることをやめたことではないですね。人の言うことに疑問を差し挟まないようにすることでもなく、むしろ思考停止とは対局にあると思います。なぜならお救いは、私が何かをやめることや、私が何かをすることによって、ということから...

願力無窮にましませば

私の思いを抑えて、人の言うことに従っていかなければならないというのは、阿弥陀さまのお救いとは関係のないことです。阿弥陀さまに従えないのは人の言うことにも従えないからだと言い訳したいのはわかりますが、従えるような素直な者になってから来いと言われるような阿弥さまではないのです。他力は無力ではないと言って、自力に誇っていてはいけませんでしたね。他力のお救い、浄土真宗を聞かせていただける毎日が本当に有り難...

今年も。

謹んで新年のお慶びを申し上げます。今年は久しぶりに大晦日の夜と元旦は主人が家に居られたので、私も今年は少しだけがんばってみました。伊達巻き、黒豆、なます、お煮染め、海老の塩焼き…作れるものは手作りして、一応おせち料理も作りました。年越しのおそばを頂いて、年が明けてお雑煮も食べて、子どもにお年玉を渡して、無事に新年を迎えられて過ごすことができ、有難さと幸せを噛みしめながら、家族で阿弥陀さまにお参りさ...

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