真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2011年08月 ] 記事一覧

嘘をつく事もしながら生きている私ですが、悪を造らなければ生きていけない私ですが、「嘘をついてまで、悪い事をしてまで〇〇をしなかったら救われない」というものが、真実の救いであるはずがないです。〇〇でなければならない、〇〇にならなければ救われないと思い込むから、その為には何が何でも、こうしたらなれると言われることの為には何をしても「善い」ということになってしまいます。条件つけまくりの結果です。いつもこ...

絶対の“救い“と「にらみっこの安心」

絶対の幸福ではなくて、絶対の救い。少し前に、私の相対の望みならば絶対ではないということを書きましたが、加茂和上の本にわかりやすく書かれてありました。私が絶対的なものになるのではなく、お救い、法が絶対なのですね。 四  よく聞かしてもろうて、助かろうとするのは、向う側に救いをみているのです。救いを向うに置いているかぎりは、どうしょうもありません。  法話を聞いて、今日のご法話は有難かったと申します。...

わかってない人

S会では、実践が命ということで、やった人が進んでいる人とされているようでした。進んでいるというのは信仰というもので、信仰が進んだということは、それだけ目指すところの救いに近づいたということです。それには実践が必要で、やったらやっただけ知らされるということでした。何が知らされるのかよくわかりませんでしたが、私は「知らされたことが救われたことではない」と聞いていたので、何か救いとは別に知らされたいこと...

不安と安心

大安心、大満足…体験や実感は人それぞれですから表現は自由ですが大安心・大満足の境地と聞いて憧れるのは、私に「不安」と「不満」に対する畏怖があるからでしょうね。不安と不満は無い方がよい、悪いものでしかないのです。でも、私に不安や不満がなくなることは無かったのです。煩悩が無くなることがないのですから。不安や不満があってはいけないのではと畏れていた私に、「不安や不満があってもいいのだよ、そのまま救う」と...

縁と言動

ご近所さんとの会話の中であるお母さんが、「あ~早く夏休み終わってくれないかしら」と言われたので、気持ちがわかり過ぎて思わず笑ってしまいました。子どもの頃は終わるのが嫌で仕方なかったのに、こんな日が来るとは思わなかったです。立場が変わればというものですが、これも贅沢なため息なのでしょう。自分の都合によって変わるのですから私というものは本当に勝手です。だから、カルト的教えによって人間が悪人にされてしま...

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