真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Archive [2013年05月 ] 記事一覧

間違えてはいけないと間違えている

間違えていては救われない─と間違えていました。「曲がった松だなー」と見るのがまっすぐに見るということ、という話がありましたが、これは曲がっていると見ているのかまっすぐに見ているのか、一体どっちなのでしょう。これは、曲がってるということとまっすぐということが、相容れない二つの対立関係にあると思っていると、解決できないと思います。そうではなくて、一方が一方を含んでしまっている、包んでしまっている包含関...

ないものねだりの理想郷

人間の欲望にはきりがなくて、満足も続かないというのはそのとおりで、しかも人間のやることにはどうしても間違いや過ちが出てきてしまうものです。元々悪人なんだから仕方ないだろという悪い意味での開き直りではなくて、不完全なもの、完璧にはなりえないものとしての人間の実像があると思います。だから、私はある会に所属していたときから、そこで説かれていることは唯一の真実だから唯一の真実の団体だという触れ込みがあった...

何もないとは難しい

ただのただもいらん…という言葉がありましたが、お救いのあることの証拠は、向こうからやってきてくださっているなむあみだぶつだけなので、それは私のものではなく、私の側からすると「何もない」ということになります。「何もない」というのは「何かあるに違いない」と思っていた私にとっては信じがたく、不安で頼りないのですが、それは自分を頼りにしようとする心なのだから、不安で頼りないのは当たり前なのでした。何もない...

立派な卒業証書

昨年、3年間学ばせていただいた中央仏教学院の通信教育の学習過程を卒業しました。楽しかったスクーリングや、質問を出して直接先生から返答をいただいたこと、試験レポートは追われながら一生懸命書いたことがいい思い出です。あまり添削は出せなかったことや地元の学習会が休日にしかなく出ることができなかったことは悔やまれますが、また機会があれば再入学したいと思っています。卒業式も出ることはできなかったのですが、後...

需要と供給

私は、阿弥陀さまのお救いに関しては、所属している会をやめるかどうかより先に、阿弥陀さまを聞くかどうかだと思うので、会の話より阿弥陀さまのお話だと思います。もちろん、阿弥陀さまのお話の中で、会の話が出てくるのはしょうがないと思いますが。だからお話に関しても、誰から聞くかではなくて、何を聞くかなのだと思いますが、でも、人にこだわって来た人は、だいたい、「じゃあ他に誰から聞いたらいいんですか?!」と言う...

分別して理解しようとした途端にわからなくなる

「仏と人」という本が本棚にあったので、読んでみました。ある先生のある文章、どこか他の本にも載せられていた内容なのか、同じ先生だから言葉遣いが同じだからなのか、何度か読んだことがあるような印象です。それにしても。流れるような自然な文章で、易しい言葉なんだけれども筋道だった文章で、非常にわかりやすいのです。でも、このような文章が、以前は読めなかったんですね。どうしてなんだろう…と不思議でしょうがないの...

名もなき人々の名もなき仕事

今年は子ども会の役員があたりました。これが結構忙しいのです。この地域は保護者が真面目だと感じます。学校の行事もほとんどの方が出席されるし、ボランティア的な行事も出るのが当たり前という雰囲気です。子ども会も、全国的には廃止であったり希望制であったりするようですが、こちらでは何の事前の打診もなく、小学校に入ったら自動的に名簿に入れられていて、役員も順番に回ってくるということになっています。「育成会」と...

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