真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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あきらめなかったのは

私はよく阿弥陀さまのほうがあきらめてくださらない、ということを言ったりするのですが、本当にそうだと思うのです。

でも、自分であきらめてしまっていては、どうにもならないと思います。

救われる、ということがどういうことなのかということの問題もありますが、それはちょっと置いておくとして、じゃあ自分はどうしてあきらめることがなかったのか、といいますと、変な話頑張ってなかったからかも知れません。

頑張っていると、何かそこに、頑張っているから大丈夫だろう、という安心が生まれませんか。

これだけやっているんだ、とか、毎日のように聞いているんだ、とか、これだけ出させてもらった、とか。

それでどうにかなるものではない、と聞いては知っていても、それが自力の心ですから、救われるまではなくなりません。心を覗いたらそういう心でやっているんです。そして、それを自分で力尽きるまで目一杯出していったら、いつか廃ってくなる、というのは全く違います。

じゃあ頑張ってなかったから、楽だったかというと、どうして救われないのだろうか、後生が苦になったらいいのだろうか、でも自分が死ぬとは思えないからどうしたらいいのだろうか、と思っていつもぼんやりと苦しかったです。いつも考えていたわけではありませんけれども、こうしていればいいんだ、の「こうして」というものがなくて安心することもできなかったという感じです。よく、善をしていって、と言われる方がありますが、日常生活は善に努めても、往生に間に合う善はできないので、それで安心はできなかったのです。

せっかく浄土真宗の救いということを聞かせていただきながら、今助かるというご法義を、そんなことあるはずがないとか、自分には無理だろうという心で聞いているのは、もったいないことだと思います。


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  • posted by  
  •  
  • 2010.01/04 11:13分 
  • [Edit]

NoTitle 

そうですよね…わかります。

自分の心は続かないですよね。どんなに頑張ったところで。自分の心がしっかりとした、間違いのないものになるのでは、ないのですよね…間違いのない南無阿弥陀仏…まかせよ、必ず助ける。たのめ、たすける、でした。

  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2010.01/04 23:38分 
  • [Edit]

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