真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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ゐなかのひと

不思議と、お聖教をパラパラと読ませていただくことも増えて、善知識方、先哲の素晴らしい書物に触れておりますと、感動も多く心に染みわたり、またそれでもっと聞かせていただきたいとの思いにさせられます。

そのままではなかなか難しいお聖教でも、現代語訳がでていますので、それを参考にして拝読したりしています。

初めて『唯信鈔文意』と『一念多念証文』をちゃんと拝読したとき、よくわかるなあ、こんな風に書かれていたんだ、と思って感動しました。そして、最後にこのように書かれてあります。

 都から遠く離れたところに住む人々は、仏教の言葉の意味もわからず、教えについてもまったく無知なのである。だから、そのような人々にもやさしく理解してもらおうと思い、同じことを何度も繰り返し繰り返し書きつけたのである。ものの道理をわきまえている人は、おかしく思うだろうし、あざけり笑うこともあるだろう。しかし、そのように世間の人からそしられることも気にかけず、ただひたすら教えについて無知な人々に理解しやすいようにと思って、書き記したのである。康元二年一月二十七日、愚禿親鸞八十五歳、これを書き写す。(本願寺出版社 『唯信鈔文意(現代語版)』より)

 ゐなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことをたびたびとりかへしとりかへし書きつけたり。こころあらんひとはをかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、おほかたのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるものをこころえやすからんとてしるせるなり。[康元二歳正月二十七日 愚禿親鸞八十五歳これを書写す。](唯信鈔文意)



ゐなかのひと、とは私のことだ…、と思って、私のような者にも伝えようとしてくだされたなればこそ…と、聖人さまのみ心が伝わってくるようで、涙がこぼれました。

何も知らないくせにとあざけり笑われることがあっても、そのとおりです。ただ、それでもせめて聞かせていただいたところを慶ばせていただかねば申し訳ないと思うのです。



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