真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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言葉のこと

前は何気なく聞いていたけれど、なんとなく言わなくなる言葉があります。勉強不足でよくわからないのですが、考えてみました。

人生の目的…生まれ難き人間に生まれ、聞き難い仏法を聞かせていただく身の有り難さは思いますが、このお救いは、阿弥陀さまの起こされた願いであり、阿弥陀さまの願いの中に私はあるのだと思うのです…。

相対の幸福・絶対の幸福…どういう境地を言うのでしょうか…?言い換えないでいいように思いますし、使う必要性も感じないといいますか…。相対の幸福は大事だと思います。「まことに死せんときは…」のお言葉もありますが、生きている間はなければならないものと思います。相対の幸福はあてにはならないとしても捨てなければ救われないというものではありません。はかない相対の幸福の中にありながら、不思議に聞かせていただく心を起こされて、摂取不捨の利益にあずけしめ給う阿弥陀仏の本願を聞かせていただく身の幸を思うとき、相対の幸福もより有り難く思われるような気がします。(やっぱりこう言っても何かへんな感じです…)

相対の幸福と比較して、それのもっとすごい大きなのが絶対の幸福だから相対の幸福を捨てて求めるべき…のように考えるのは、違っていたと思いますし、私のしたことのご褒美や取引のように阿弥陀さまが絶対の幸福を与えてくださるというようなものでもないです。


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  • 2010.02/01 17:34分 
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NoTitle 

いつも読んでくださりありがとうございます。必死になる…確かに必死にならずにはいられません。でもその必死さが必要なのでもなく、間に合うのでもありません。そこに、「必死になったら、の心」があるのなら、それは打算なのです。今、その手を出す心、どういうことか「わかったら、の心」を捨てなさいとの仰せでした。阿弥陀さまは、わかって来いでは、ありませんよね。
  • posted by hiromi 
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  • 2010.02/01 23:13分 
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  • 2010.02/02 08:18分 
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