真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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選択不思議の本願・無上智慧の尊号をききて

これまで長く聞いてこられたという方もいらっしゃれば、そうでもない方もいらっしゃいますね。私もこれからますます聞かせていただきたいと思っているところです。
ただ今救われるみ教えとお聞きしましたならば、過去どれだけ聞かせていただいたとか、どこで聞かせていただいたとか、それがどの程度真剣だったかどうかというのは、もう関係ないのではないでしょうか。私の過去の聞いた量によって、救われる救われないが左右されるのではないですよね…

阿弥陀さまのお働きは、どんな人でも救うお力があるのですから、聞いてきたのが足りないとか、頭の良し悪しとか、関係なかったなあと。というか、どれだけなんて人によって基準が違うものだし、それを私が判断できると思っている限りは、私自身の想像する「これだけ十分やった、やっている」を満たすためのものになってそれを追いかけることになってしまうのではないかなと思ってました。

何にも関係ない、どんな人をも救うと誓ってくだされ阿弥陀さまのご本願、円融至徳の南無阿弥陀仏に、何の不足もないのですね…

「如来尊号甚分明」、このこころは、「如来」と申すは無碍光如来なり。「尊号」と申すは南無阿弥陀仏なり。「尊」はたふとくすぐれたりとなり、「号」は仏に成りたまうてのちの御なを申す、名はいまだ仏に成りたまはぬときの御なを申すなり。この如来の尊号は、不可称不可説不可思議にましまして、一切衆生をして無上大般涅槃にいたらしめたまふ大慈大悲のちかひの御ななり。この仏の御なは、よろづの如来の名号にすぐれたまへり。これすなはち誓願なるがゆゑなり。「甚分明」といふは、「甚」ははなはだといふ、すぐれたりといふこころなり、「分」はわかつといふ、よろづの衆生ごとにとわかつこころなり、「明」はあきらかなりといふ、十方一切衆生をことごとくたすけみちびきたまふこと、あきらかにわかちすぐれたまへりとなり。
 …
「迎」といふはむかへたまふといふ、まつといふこころなり。選択不思議の本願・無上智慧の尊号をききて、一念も疑ふこころなきを真実信心といふなり、金剛心ともなづく。
この信楽をうるときかならず摂取して捨てたまはざれば、すなはち正定聚の位に定まるなり。このゆゑに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと金剛のごとくなるがゆゑに、金剛の信心とは申すなり、これを「迎」といふなり。『大経』(下)には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまへり。 (唯信鈔文意





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