真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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才市さん追記

たくさんの詩を書き残された才市さんですが、『妙好人のことば』を拝読して、むしろ普段は寡黙な人だったのではないかと感じました。

何気なく別のご本をパラパラとめくっておりましたら、鈴木大拙著の『妙好人』(法蔵館 昭和51年)の中に、才市さんと親交のあった寺本慧達氏を訪ねた楠恭氏の記録がありましたが、そこに、

 「…才市老はどちらかといえば口数の少ない方であった。示談の時でも、人と話をする時でも、自分から喋り出すというふうはなかった。黙って人のいうことをよく聞く方であった。むしろ無口であったといった方がよい。…」

とありました。

無口がいいとか饒舌なのがいいとかそういう意味ではなくて、無口な人は無口なままでもいいと思いますし、法の話となると饒舌になられる方もあるでしょう。かくあるべしは人それぞれの中で育てられて変わってくる部分もあると思います。私の場合は話すのが苦手で、せめて書いているということもあります。

ただ、御文章にもしばしばありますように、真宗の同行は、聞く気のない人にまで押し付けるようなことはすることにはならないと思います。「信ずる自己を認めている自力の信心は、必ず他者に強要するものである。」と稲城和上の言葉にありましたが、これは心に留めておくべきと思います。

聖人さまが常にそうであられたように、浄土真宗はどこどこまでも「私なし」のご法義なのだと、折に触れて知らされています。


*Comment

才市さん 

こんばんは.

才市さん,ほんとに寡黙で小柄なおじいさんだったそうです.
地元でも,お寺まいりに熱心で,ときどきご法話の最中に思わず立ち上がって,すぐきまり悪そうに座り込むご法儀な人としては知られていましたが,たくさんの歌を残していることは,それほど知られていなかったようです.

ただ,お寺まいりや,家々の報恩講に参ることは勧めていたそうです.自分の信心を語るのではなく,一緒に聴聞しましょう,ということなのでしょう.
  • posted by junk 
  • URL 
  • 2010.02/22 00:34分 
  • [Edit]

NoTitle 

おはようございます。
そうなんですか、
>お寺まいりに熱心で,ときどきご法話の最中に思わず立ち上がって,すぐきまり悪そうに座り込むご法儀な人

なんだか目に浮かぶようです。
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2010.02/22 09:44分 
  • [Edit]

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