真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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記憶の片隅の言葉

「倒れた法友の屍を踏みこえてゆくんだ」
そんな言葉だったように思います。苦しい道、誰でも残れる訳ではないんだ、残って最後まで求めることができた人が絶対の幸福という栄冠をつかむことができるのだ…そんなとんでもないイメージでとらえていました。まだ学生だったころ。

いつしかそんな言葉も記憶の片隅に追いやられて忘れてしまっていました。

全然そういうものじゃないから、別にいいんですけれども、ただ…

もしかすると、屍を踏み越えて来てしまったのは、私なのかも知れない。

実際言われていることを聞いたりすると、そのあまりの内容に、思考が止まっているのか、頭の中の時間が止まっているのか、精神が屍のようになってしまっているかのようだ。そんな姿に幻滅して私はそこを去ったのだった。

救いを求めながら、そのためには自分の心を殺さなければと思い込まされて、自ら生ける屍となって救いのない道を進んでいると錯覚している人達を、私は踏み越えて来てしまったのかもしれない。そんな思いを、どうしたらいいのでしょうか…


*Comment

思いあがり 

二百三高地じゃあるまいし、譬喩にもならない「言葉」に迷うっておかしいでしょ。

我以外皆菩薩という言葉があるけど、生ける屍になってまで、hiromiさんを本願念仏の道へ導いて下さった菩薩であったのだと思い取りましょうよ。

他者を、救われた/救われていないという判断をする事が間違っているのですが、驕慢になってはいけないと思ふ。


NoTitle 

仰るとおりです。
どうもありがとうございます。
申し訳ありませんでした。
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2010.04/04 22:40分 
  • [Edit]

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