真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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責任

往生は、ひとり一人のしのぎです。如来さまに向かって私は私の足元を見ながら歩いていきたいと思います。私の考えは、誰しもこうでなければならないということではもちろんなく、教えようなどというつもりは毛頭ありませんし、人様に要求するものでもありません。

ただ言葉にすることによって自分でも気付くこともあり、気付いたことは言っていただくこともできます。
ですからここでも、自分の知らされたこと、自分の思いを綴らせていただいています。私のことです。お互いにそれで何かを感じたら、そこで学んでいければいいなと思っています。

ある時、思いました。私は少しばかり先にやめたから、まだ続けている人を愚か者だと見下して、向こう間違い私が正しいと安心しているだけだったら、それはそこにいたときに「私は世間の人と違って真実知らされて求めているんだ」とそこにいない人を見下して、何か選ばれた優れた人間であるかのように勘違いしていたのと、同じなのではないかと。

私だってばかだった。私だって加担した。すこし前まではその存在を許して認めていた一員なのです。

過去は消せません。単に「馬鹿だった」の一言で済ましたり、そうやって自分を責めたりしても仕方ないと思うのです。けれど未来は変えることができます。失敗を活かすことができます。どこがどういう風に馬鹿だったのか、を考える必要があるのではないかと思ったのです。もう二度とそういう存在に騙されないように、そのためにどうして信じてしまったのか、相手のやり口だけではなく、それを受け入れていった自分側の要素も自覚して改められるところは改めなければ、また知らず知らず同じ存在に騙され認め加担してしまうかも知れないと思うのです。例えば、資格商法や詐欺商法に騙された人が、また同じような詐欺に騙されてしまうように。
何かに安心したい心が私にあり、その存在がそれに応えてくれるように思ったから信じたのであり、それを求める心は私がもっていたものなのです。真実味を帯びた言葉であったり、優しい言葉であったり、一見親切そうな態度であったり、断定的な物言いであったり、強いリーダー的な存在であったり、一方的に与えられる指示に従えばいいという安心であったり、自分で考える必要のない楽さであったり…。それが全部間違いということではなくて、そういう私の心をどのように利用されたのか、と言ったほうがいいのかも知れません。

自分が二度とそういうものに加担しない、それが私の最低限の責任だと思っています。だから、私はそこにいた自分とその過程を振り返ろうと思いました。それは決して楽な作業ではないと思いますが、本当の意味でその呪縛から解かれるにはその作業も必要なのではないかと。しかしそこに至るまではある程度の時間と心の整理も必要だったと思いますし、まだその途中です。

自分自身のことですから決してそれを外に向けて表明する必要があるとは思いませんが、(私は気付いたところを聞かせていただいたり、共感していただけるところもあるかなと思って相手と場所を選んで話したりこのように書かせていただいたりもしていますが)、やはりいつでも自己と向き合うということは大切なことであったなと反省も込めて思うのです。

これは人のことではなくて私自身の思いです。


*Comment

感想 

私もなぜ信じていったのか、新入生に注意喚起するために振り返ってきました。

私は、人生苦悩の有様、人間の実相がその通りと思うことをもって、教義全体を正しいと信じてしまいました。
前々から疑問を抱えていたので、先輩の力添えもあって辞めることができました。

確かに私も過去、様々に活動して友人、学生、色々な人に迷惑をかけてきました。
その過去を変えることは仰る通りできません。

ただ、「私も同じように悪い事をしてきたんだから、まだいる人達を責めることはできない」と考えて何もしなければ、彼らは罪を重ねるだけですから、訴えていきたいと思います。
泥棒から改心して足を洗った者が、まだ泥棒している者に注意するのは勿論ですからね。

騙された方も悪いかもしれませんが、騙したほうが悪いに決まっていますから、大親分の誤りは指摘し続けます。
  • posted by 淳心房 
  • URL 
  • 2010.04/26 19:39分 
  • [Edit]

ご感想ありがとうございます 

そうですね。単に自分の過去を責めるのでは仕方ないのですから、人に対してもそれは同じことで、だから

>「私も同じように悪い事をしてきたんだから、まだいる人達を責めることはできない」

これは違うと思います。淳心房さんも、決して人の過去のことを責めたいのではなく、現在このような状況にありながら、間違ったことを今も説き続けているという現状、そしてそれに今も疑問を抱かず信じておられるという現状を、過去からの教義等も通して今見つめて、そしてこれから、今、直ちに改めてくださいということを仰ってされていると思っています。違いますでしょうか。だからいつも陰ながら応援しています。過ちを直ちに改めることを誇りにしよう、これはそのとおりだと思うのです。まずはそこからと思います。

それぞれでできること、私もこれからのことを、できることを考えていきたいと思っています。
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2010.04/26 19:58分 
  • [Edit]

 

お返事ありがとうございます。
それぞれがそれぞれのアイデアで働きかけていったらいいと思ってます。画一化したらまた前と一緒になっちゃいますもんね(笑)

(印象として)やんわりな表現だけど芯が通っているひろみさんのようなブログは素敵だと思いますし、そういう文章に私はひかれました。
これからも楽しみにしてまっす♪
  • posted by 淳心房 
  • URL 
  • 2010.04/26 22:57分 
  • [Edit]

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