真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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浄土に向かった旅

回向ということを巡って六字釈を味わわせていただき、そこで心に残りましたことを少し書き留めておきたいと思います。『浄土を願って生きる』から梯實圓和上の「六字釈のこころ(其の二)─発願回向釈─」より

 「回向」という言葉は、方向を転換して、新しい方向にむかっていくということを表す言葉でした。サンスクリット語の「パリナーマ」の訳語ですが、もともと方向転換するという意味をもっていました。

「行文類」の六字釈では、先にもうしましたように、如来さまが、私どもに往生の行である選択本願の行、すなわち念仏を恵み与えてくださることを「回向」といわれていました。

ですから私どもはそれをいただいて、念仏を称えながら、浄土への旅としての人生を生きさせていただくことになるわけです。しかしこの人生を浄土に向かった旅であると言い切ったとき、私どもの人生観は転換していきます。

 浄土に向かった人生、往生し、仏にならせていただくことを有難いことと思うようになった人の人生観は、徐々にではありますが変化し、その生き方にも変化が生じてくるようになります。

 考えてみますとこれまでは、人間を最高のものと考え、この世以外に世界はないと考えていた者が、人間は愚かな凡夫に過ぎず、この世は娑婆の苦界に過ぎないと知らされたのです。

そして如来さまこそ仰ぐべき尊いお方であり、浄土こそ目指すべき真実の世界であると知らされたのですから、まさに価値観が根底から覆されたわけです。

それでも、煩悩具足の本性は、身にも心にも染みついていて、この世を終わるまで頑強に如来さまに抵抗し続け、反抗し続けます。それが曠劫流転の名残というものでしょう。

しかしそんな凡夫でも、み教えを聞けば、煩悩に惑わされ続けている身の浅ましさを懺愧し、少しでも如来さまをかなしませるような振る舞いは慎まねばならないと思うように育てられていきます。
そこに、徐々にではありますが、私の心に方向転換が始まってまいります。

だから私の心に、浄土を願う心が起きてきたというのは大変なことなのです。
仏さまの発願回向が私の人生観を転換させていらっしゃることなのです。
それを親鸞聖人は六字釈の中で「如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり」といわれたといただくこともできましょう。



大変なことなのでした。有難いことです。恥ずかしいばかりの私ですが少しでも努めていきたいと思います。
なんまんだぶつなんまんだぶつ

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