真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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煩悩を超える生き方

再び『高校生からの仏教入門』からです。第三章 親鸞聖人の生涯とその教え 6救い から

往生浄土
 ただし、浄土真宗の究極的な救いは、この世のいのちが終わると同時に、浄土に往生し成仏する(さとりを開く)ことです。…(略)…

現生正定聚
 しかし、このことは、決して未来の救いのみを説いているではなく、信心をいただいた時に、往生成仏が定まり救われるのです。それを「現生正定聚」という言葉で表しています。「現生」とは、この世、「正定聚」とは、正しく仏に成ることが定まったなかまという意味です。

 つまり、信心をいただいた時、念仏という生きる依りどころが定まり、浄土という真実の世界に導かれながら、浄土という真実の世界に向かって生きるという生き方が与えられるのです。それを救いというのです。…(略)…

〈煩悩を超える生き方〉
 浄土真宗の教えを聞くことによって、自己中心の心から離れられず、煩悩に振り回されて生きている愚かな自分に気づかされます。

しかし、それは同時に正しいあり方・生き方を知らされるということでもあるのです。ですから、煩悩だらけの自分はダメな奴といたずらに悲しむ必要はありません。煩悩が無くならないのは仕方がないと開き直るのでもありません。

煩悩だらけのあり方を悲しいこと・申し訳ないことであると受け止めた時、少しずつではあるけれども、正しい方向へと軌道修正しながら生きる生き方が恵まれるのです。

それは、「煩悩があるままで、煩悩を超える生き方」であると言ってもいいでしょう。そして、それが浄土真宗に生きる人(救われた人)の生き方なのです。

 浅田正作さんという方が、次のような詩を書かれています。

   回心
 自分が可愛い
 ただ それだけのことで
 生きていた
 それが 深い悲しみとなったとき
 ちがった世界が
 ひらけて来た

 この「ちがった世界」とはどのような世界かを求めていきましょう。



煩悩を超える生き方…そういうことなのかも知れないな…と思います。

この世を楽に過ごすために浄土があるのではないのです。

ありのままの私を私と許してくださる存在を知ったとき、そんな私を私自身が初めてありのまま全部受け入れられるから、私が私のままでその浅ましさを畏れずに恥じることができるのだと思います。恥じても捨てられることはないのです。その慶びと安心で、恥じて少しでも慎んでいこうと思えるのではないでしょうか。

「ちがった世界」がひらけてくださる、そういう生き方に「恵まれる」のですね。有難うございます。

なんまんだぶつ


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