真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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救い(2)

暑いので身体も動かず思考も働きませんね。

人って自分の居場所がないと辛いと思います。居場所といっても、そこに場所があるということではなくて、身の置きどころといいますか、「そういう存在として認められている」という意味です。母親というのは、子どもや夫から母親として認められているから母親でいられるので、妻として夫として認め合うことができなくなったらお別れしなくてはならなくなったりします。

学校や職場などでも、一度例えば「優等生」としての立場で認められると、「優等生の〇〇さん」となってしまって、何だか優等生にしていないともう自分は認められないかのような、居場所のなくなるような不安を感じることってあると思います。優等生でなくても、「元気な子」だったり、「人を笑わせる面白い子」だったり、「親切な人」だったり…。

人と比べて、あんな風にならなくちゃと思うのも辛いですね。なれっこないですから。別の人間ですから。

〇〇でなくてもいいんだよ、人の真似をする必要もないんだよとそのままの私でいいと認めてくれる存在は温かいですね。

ばかであることに畏れる必要も恥じる必要もないと知ったなら、ああ私は何てばかで愚かなんだろうかと認めても大丈夫です。ばかさ加減もわからない底抜けのばかで愚かな者をお助けくださるということですから、自分がばかだと認めたところで何も困ることがありません。気楽ですね。(ばかなことをして人に迷惑をかけないようにするのは当たり前です。)

褒められたいとか認められたいという欲は大いにあっても、それがないと不安ということがないのです。人に褒められたり認められるような立派な人間になることが、往生の要件ではないのです。

何も要らないと言われる。そのままでいいんだよとお許しくださる。私のすべてをありのままに認めてくださる。

そんな阿弥陀さま。

なんまんだぶつ


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