真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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お参り

先日京都でのお勉強の帰り、一人なら歩いて行きますが子ども二人で下の子も小さいので、駅までのタクシーに乗ろうと思いご本山の方へ歩いていきました。ご門のところに来たので、子どもに(疲れているから無理だろうなあ、子どもだし)と思いながらも「阿弥陀さまにお参りしていく?」と聞いてみますと、上の子が「行く!」との返事。立派な本堂に行ってみたいとも思ったようです。まあ気まぐれなのでその時の気分もあるのでしょうが、それでも時折、こと仏様のことになりますと素直といいますか殊勝な態度になりますので、普段があまりにもわんぱくなこともあってそのギャップのせいか余計に、驚くことがしばしばです。私のご機嫌取りをするような子でもないので、やはり子ども心に何か、仏さまを尊く思う心はあるのだと思います。

阿弥陀さまにお参りして、境内で記念写真を撮りながら、ちょっと大変で迷惑もかけたけど子ども達も連れてこられてお礼ができてよかったな…と思いました。

それと、お寺というものには、何か厳かな、人を惹きつけるものがあるのではないかと思います。仏教が日本に伝えられてから、先人の方から現代まで多くの人々が護ってこられた重みはやはりあるのだと思います。日本人なら多くの人が感じるものがあるのだと思います。

自分でも不思議だな…と思います。浄土真宗というものをどうして聞いてみようと思ったのか、惹かれたのか、阿弥陀さまの救いに遭いたいと思ったそれは、やっぱりお育てをいただいたとしか思えないです。

深川和上の『仏力を談ず』の中に、「その阿弥陀さまの話が、これは他人の話ではない私のことだと思わせるものを持っているわけです。布教使の方が、「わが身に引きかけて聞け。」余計なことをいわなくても、阿弥陀さまのお話は、わがことに引きかけて聞く心が起きるように出来てます。聞きやすいように出来てます。」とありました。そうなんだと思います。そうでなければ私のような者が聞こうと思えるはずがないと思います。

いろいろ紆余曲折はありましたけれども、私は聖人さまの教えを通してずっと阿弥陀さまの救いに遭いたいと、阿弥陀さまを信じる身になりたいのだと、私から向かっていくのだと間違えていた時期もあったけれど、そこだけは何故か忘れることはありませんでした。たまたまでした。有難いご縁にも恵まれました。ありがとうございました。これからも「阿弥陀さまのお話」をたくさん聞かせていただきたいと思います。

なんまんだぶつ

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