真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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不断光

? 光明てらしてたへざれば 不断光仏となづけたり
    聞光力のゆへなれば 心不断にて往生す

 私たちは如来のことをまったく忘れて、わが子や孫のこと、自分自身のことだけで、生活をしているのでありますが、如来のみ光はつねに照らして絶え間がないので不断光であると、釈迦如来は教えられました。
 「聞光力」に、
  聞といふは聞くといふ 聞くといふはこの法を聞きて信じてつねに断えぬこころなり(高田本)
  弥陀の御誓を信じまひらするなり(文明本)
と祖師は説明されて、この如来のみ光が断えず私を照らしつづけてくださっているという、その如来のみ光のはたらきを聞くことが、そのまま如来の本願、如来の救いの法を信じまいらすることであると教えられました。
 もし、この人生に賜わった如来よりの信心が、私自身の怒りの炎によって焼かれたり、愛欲の洪水で押し流されたりして、消え失せてしまうならば、光の浄土へ誕生してゆくことはできないのであります。しかし、如来のみ光がつねに断えることなく私を照らしつづけてくださることによって「心不断にて往生す」と仰せられるのであります。
 高田本では「不断」にわざわざ返り点をうって、「断えず」と示され、その左には、
  菩提心の断えぬによりて不断という
と説明されます。また文明本では、
  弥陀の誓願を信ぜる心断へずして往生すとなり
と説明されました。
 これによって、私たちが生活の中の多忙にかまけて如来を忘れ、たえず浄土に往き生まれようと願いつづけていなくても、仏になってもろびとを救済しようという菩提心を内容としている信心が、仏になるまで断えることなく続いてゆくことが知らされるのであります。
 私の心に信心を恵もうとされるだけでなく、浄土に見事に誕生するまで、この信心を相続せしめるはたらきまでされる如来の大慈悲に感動するばかりであります。
 人生のいろいろの問題に遭遇して、泣き笑い、苦しみもがく私たちの毎日ではありますが、いかなるときでも、その時の私たちの心を取り出してみるならば、如来にただ信順しているという心だけは消え失せていないことを、この和讃で教えようとされるのであります。
 この和讃のおことばにより、その大慈悲につい甘え過ぎてしまい、たえず如来を忘れ、如来の思し召しとおそらく反対の方向にあるだろうという私の心を深く省みては、ただただ申し訳ないことと、頭を深く垂れるよりほかない私であります。(三木照國『親鸞聖人 和讃百話』)



本当に…こちらが忘れることはあっても、「如来にただ信順しているという心だけ」は消え失せない…如来さまの御心だから…浄土に見事に誕生するまで、ただ

なんまんだぶつ なんまんだぶつ



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