真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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お念仏

阿弥陀さまをご安置させていただく大切なお仏壇。

お仏壇にも大きなものや小さなものいろいろあるけれど、阿弥陀さまに変わりはない。どんな阿弥陀さまでもなんまんだぶつ・・

私のお念仏は阿弥陀さまの他に何もない。

こんな私のなんまんだぶつも皆同じ阿弥陀さまのからのもの

ありがたーい気持ち、尊い気持ち、よくわかった境地、そんな気持ちのお念仏でこそ、そんなお念仏が欲しいと思うのは間違いでした。

何もない私だけれど飾る必要もない

なんまんだぶつ


*Comment

No title 

いつも記事を読んで勉強させて頂いています。
信心決定したらどんな気持ちで念仏を称えるのか。
それについて、蓮如上人御一代記聞書(181)に、以下の話が載っています。
蜂を殺した人が思わず念仏を称えたのを、蓮如上人がきかれて、その人にどういう気持で念仏を称えたのか尋ねられました。その人はかわいそうなことをしたと思って念仏しましたと答えられましたが、上人は信の上にはどんな念仏も仏恩報謝になるのだと教えられました。
私はこれを読んでからは、嬉しい時、怒った時、悲しい時、どんな時でも念仏を称えて良いのだと、今ではともかくお念仏の日々です。
これからもhiromiさまの記事を楽しみにしています。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
  • posted by 雑草 
  • URL 
  • 2010.09/01 12:54分 
  • [Edit]

雑草さま 

いつもありがとうございます。私のところは読まれても何の勉強にもなりませんので申し訳ない限りですが、何処どなたであっても南無阿弥陀仏のお話は勉強させていただけますね、有難いことだと思います。

御一代記聞書…改めて聞かせていただきました。有難うございます。私が最近聞かせていただいたものでは、深川和上様の

「次に「この上の称名」とは、称名は報恩であって、往生成仏の因ではないことを明らかにしました。称名の「称」、称える私の仕事がご報謝であります。古来、信行不離と申しますことは、信心と称えられている名号を別のものと考えてはならないということであります。

 弥陀の名号を称えつつ憶念の信心が相続して生きて参りました。私共の側には仏恩報ずる思いがあります。なぜ称えるかという私共の称える思いは、

 一、ご恩でございますと思うとき。
 二、浅ましゅうございますという慚愧(ざんき)のとき。
 三、お呼び声としての名号を聞いてみたいとき。
 四、如来さまが称名を持ってござると思うとき。
   親縁・近縁・増上縁、よう称えたのう、「仏言広大勝解者」、
   仏は広大勝解の人と言えり。
   聞いて下さるから称えるのであります。
 五、ご開山聖人や蓮如上人、ご門主さまが行住座臥に称えられますから、
   師命に随順します。
 六、称えて称えて、称えるのが癖になっているから、いつも称える。
   癖になる程に、称えて来たことが有り難い。」
『改悔批判(平成7年)第六席』
http://www.hongwan.net/index.php/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8というところが心に残っております。まことにまことに…と思います。
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2010.09/01 22:27分 
  • [Edit]

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