真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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方向違い

阿弥陀さまに救われたというのは、
「○○になったのですか?」
「○○と感じられるようになった姿ですか?」
「○○と聞こえてくる感じですか?」…

それが「私が○○になったのがですか?」「○○になったらいいのですか?」という私側の話なら、○○になった、に何が入ろうとも全部違いますよね。「どうなったらいいのでしょうか?」と問うとするならば、私はどうにもならないからです。私には助かる種も術もはじめからありません作れません。

でも「疑いがなくなったらいいのでしょう?」と言うのですが、そこでまた、疑いの無くなったのはどういうことか、どうなったらいいのか、と私の心を詮索するなら同じこと。

それは私の想像。それは私の願望。

つまり人それぞれの想像や願望だから、一味にはなり得ません。

それを捨てる。その疑いを捨てる。

捨て難いのは自分がかわいいからでしょうね。

だから如来さまからは私のような者に対しては「お前がこうなれ、ああなれ、こうしろ」というお話はありませんでした。

私を見られて名号を仕上げてなんまんだぶつとなってくださいました、私のところまで来てくださって、私をお助けくださいます…全部阿弥陀さまがなされるとのことでした。

仏願の生起本末とはそういうことだったのですね。

なんまんだぶつ なんまんだぶつ

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