真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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正直な気持ち

所要で久しぶりに母校の大学を訪れました。何年かぶりで、就職してからもお世話になったりしていたところなのにさほど懐かしいという感傷的な気分にもならないのは、卒業するのだけで精一杯であまりいい想い出がなかったからかも知れません。

確かに、聖人のお名前を聞いて浄土真宗の存在というものを知るきっかけになった場所。
けれど…まだ全部整理はついていないし、感謝と言えば聞こえはいいしそう言うべきところもあるのかも知れないけれど

暴行を受けて身も心もボロボロにされた被害者が、立ち直ったとしても、それによって警察の有り難みや本当の優しさのある人の存在を知ることができて犯人に感謝しています、とは言わないですよね。いや言う人もいるかも知れませんが、それは自由なのでいいですが、第三者で「だから被害にあったあなたは犯人に感謝しなさい」という人はいないでしょう。相手の気持ちを考えるなら。

戦争で大変だった時代を知れば、今の平和で恵まれた時代に感謝しなければねとは思ったり言ったりしますが、それを教えてくれた戦争に感謝すると言ったら、戦争で愛する家族を失った人を傷つけると思う。

私ほどの幸せ者はいない…と今のお恵みに感謝することは当然だけれど、人と比べて誰々さんより私のほうが幸せと言うのは場合によっては失礼な話だったなと思います。なんだか上に立っているみたい。あの人より私のほうが頭がいいとは自惚れることはあっても口に出す人がいないように。幸せ感なんてひとそれぞれだし幸せと感謝できるかどうかも本人の努力というところがありますね。人を見て、自分ももっと感謝しなければいうことならそのとおりで大事なことだと思いますけれども。極端なことを言えば、少なくとも、仏教は選民思想的なものではなかったということで。

縁にはなったけれどそこにしかなかったということではないし、たまたま通ってきた道だったけれど、反面教師にしても私にはちょっと強烈だったかな。私だけならいいけれど実際多くの人に及ぼした影響を考えると、軽々しく感謝とは言えない気分というのが正直なところです。別に仰る方があってもそれはその方の思いだなと思って何とも思いませんけれども。

でもなんまんだぶつには変わりがない。私に、すべての人におはたらきくださっているから安心です。
感謝、懺悔、なんまんだぶつ なんまんだぶつ

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