真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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これが信心ですか?の心

これは信心ですか?って言われたりしますが、「ですか?」という心は何でしょうね。

つまりその「これ」の中身が私の心なら、いくらまさぐってみても信心は見つからないと思います。
それなのに何かあるできるはずだと、自分の心に向かって確信が得られないように思って物足りなく思って、今度は心は人に向いて「この人に聞いて私の信心認定してもらえたらはっきりするのでは」と考えますね。はっきりしたいのですね。つかみたい。でも疑いのないこと信心があることの判定認定できる人なんてないですね。疑いがあることは人や自分にもわかりますが、判別はできません。

「それが信心ですよ」と言われたら安心できるというのなら本願に疑いがないのではなくてそう言ってくれた人を信じているのではないでしょうか。後から「間違えたやっぱりそうではなかったです」と言われても困らないならいいと思いますが。認めてくれる人が欲しいその言葉に存在にすがりたいと思う心が知識をたのむ心だったと思います。人はあてにならないです。人に聞くなと言っているのではなくて、人はあてにならないよ法の阿弥陀さまをたのみなさいというお話を聞かせていただいたのです。

「疑いの無い心」が私にできる(有るようになる)のではありません。だから私の心をいくらまさぐっても信心はないと思います。自分の感覚も心も続きませんからあてになりませんね。阿弥陀様はどこにおられるのか。このなんまんだぶつで不足はありませんでした。機法一体であって機法合体ではありませんでした。ご名号の法はおはたらき詰めなのでした。

なんまんだぶつ


*Comment

NoTitle 

「南無阿弥陀仏」(タスケルゾヨ)これ一つを素直にいただく以外にありませんでした。
それ以外の「思った、信じた、わかった、泣いた、笑った」
は全部、凡夫の虚仮不実でした。

南無阿弥陀仏
  • posted by Rudel 
  • URL 
  • 2010.09/26 12:06分 
  • [Edit]

Rudelさん 

思えたら、信じたい、わかりたい、泣けたら、笑えたら…私の心にまことはありませんでした。
本当のまことに触れてはじめて私にまことの無いことを受け容れることができるのだと思います。

ありがとうございます。

なんまんだぶつ
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2010.09/27 09:39分 
  • [Edit]

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