真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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従う相手

私を救ってくださるのは、阿弥陀仏です。
その阿弥陀仏の御心を教えてくださるのが善知識ですから、善知識なくば、今の私はありませんでした。では私が従うのは、阿弥陀仏か善知識か、どちらでしょうか。

阿弥陀仏です。なぜなら善知識の言われることが「阿弥陀仏に従いなさい」だからです。

阿弥陀仏の「必ず救う、そのまま来い」の仰せに従ったとき、はじめて善知識の仰せに従ったことにもなるんです。

阿弥陀仏に救われなさい、従いなさい、善知識であればそれだけを言われるはずです。信じるものについても同じです。他のことを「否定」しているのではありません。善をすることも因果の道理も当たり前のことです。ただし私の往生において信じるものは「彌陀の本願」これを疑いなく信じる身になれるかどうか、であり、因果の道理を深く信じる身になったからでもなく、善知識に深く帰依したからでもないんです。信心一つ、お聞きになったことがあると思います。
一向専念の後ろには何が来ますか?一向専念善に励む でもなければ、一向専念因果の道理、でもない。一向専念善知識でもない。一向専無量寿仏。すなわち南無阿弥陀仏。阿弥陀仏の完成された南無阿弥陀仏は完全無欠なのです。足りないものはないのです。その阿弥陀仏の名号と光明のお働きによって私は往生極楽させていただけるのです。

従う相手と内容を間違えていたら、願には相応しないんです。

南無とは「帰命」、阿弥陀仏とは「必ず助ける」。
南無阿弥陀仏とは、「必ず助ける」の仰せに「従う」ことなんです。

南無阿弥陀仏、してくださいね。

*Comment

 

「一向専念無量寿仏」
四六時中、心にあったわけではありませんが、この言葉を知ってから、自分に言い聞かせて今日まで、16年ほどたちました。
しかし、いまだ南無阿弥陀仏はいただけません。
難信の法だからと言えど、あきらめてはならないのですね。
  • posted by M 
  • URL 
  • 2009.10/08 09:32分 
  • [Edit]

 

そうですか、16年。頑張ってこられましたね。
ただ今一念の救いですから、これまでの私の実感される年月は関係ないのです。
あきらめるもなにも、阿弥陀仏のほうがあきらめられないと、果てしのない過去から私に働きづめでおられるのです。
おっしゃる通り難信ではありますが、それは時間がかかるという意味の難しいではありません。
南無阿弥陀仏をいただきたい、そのMさんの尊いお心は、間違いなく阿弥陀仏から起こされた心なのですから、どうか求め抜いてくださいね。
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2009.10/08 19:51分 
  • [Edit]

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