真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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阿弥陀さま

阿弥陀経についてお聴聞させていただきました。

なぜ阿弥陀と名付けるのかというお話のところで、「光明が無量であり、寿命が無量である。無量とは量り知れないということ、限りがないということ、光明とは横、寿命とは縦」とお話くださいました。寿命が無量であるから…いつでも、光明が無量であるから…どこでも、時間と空間に縛られることのない、いつでもどこでもおはたらきになる阿弥陀さまだから、私が今いるままに救われ続けるのだと味わわせていただきました。

思えば、以前にいた会をやめようと思った時も、無量光・無辺光のおはたらきに所属に限られて助かる助からないが言えるはずがない、他に救われている方がないはずがないと思えたからです。
浅はかな人のいうことばかりを信じて、阿弥陀さまが私一人を助けるためにすべての人に誓ってくださっていることを、まずこの私が信じようとしないのは、罪深い疑いであるとの仰せはまことと知らせていただいおります。

極難信とは、この法は人間がいかに努力をしても、人間の側ではつくることのできる信ではない、どこまでも回向の信であるという法の尊高を表すということと、法が難しいのではない、為本凡夫、凡夫の為の法であるから難しいはずはない。けれどもそれを受け止める私の側の問題、疑いの心がなくなるこれが一番難しいという、自力疑心の戒めと聞かせていただきました。

どこどこまでも回向の信だから、私の疑いこそが自力であると、知らせていただいたのも阿弥陀さまのお育てによるのですが、だからこそ、本願力回向という聖人さまが明かにしてくださった御心を聞かせていただけることは有り難いことですね。なんまんだぶつ

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