真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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善悪を超えた救い

いろんな宗教と言われるものがありますが、どこにも共通するのが「善い行いの勧め」だと思います。

その教義なり団体なりで、勧められる「善」の言われようが違っているだけで、結局「その教団(教団の権威)が勧める善い行いに励みなさい」というものだと思います。

そしてたいていは、「教団で言われる善悪の基準」に疑問や計らいを入れることが禁じられる訳ですから、「教団で言われる善悪の基準」がそのまま「私の善悪の基準」になる訳ですから、そこに属していない人から見たら善ではないことであっても、そこで善と言われれば、善になる。そして、所属する人は善いことだと思っているからこそ、やっている訳です。「善いこと」と「信じて」いるからこそです。救われるのに何か私の行為が必要になると言った時点で、信じることを要求されているんです。

だから阿弥陀さまは、私をお救いくださることにおいて、何の行為も要求はされていないのです。その、何も要求されていないということを、お聴聞で聞かせていただくのですが、それも、阿弥陀さまのお働きによってです。

それなのに、人間に真理が体得できると思っている人は、真理なのだから善だと言います。実際は真理だと信じているのです。善だと信じているのです。信じて間違いないと思っているんですね。だから確信犯というより、善いことと思って、人にもそう信じさせているのだと思います。それで善だといいながら悪いことと言われることをしている人を見ると、確信犯のように見えるけれども、善い事だと自分も信じ、人にも信じさせているのだと思います。罪福を信じたいのが人間の本質なのだから仕方ないとは思いますが、だからこそ本当の浄土真宗を私が聞かせていただくのは難しかった、ひとえに阿弥陀さまのお育てによって聞かせていたたのだと思います。

その、善悪の判断が人間にできるというところから、人間の迷いは始まるのですから、この阿弥陀さまのお救いこそは、善悪を超えた救いであったからこそ私への真の救いであったということが、殊に味わわせていただいているこの頃です。

お救いにおいて罪なことは、疑いであって、悪い行為ではないんです。当然、悪い行為などを勧められているのではなくて、本願のお念仏が勧められているですね。私が信じてかかるのではない、阿弥陀さまのまことの御心を信受させていただくということです。人間ではなくて、仏さまの願いを聞かせていただく、仏さまが選び勧めてくださるお念仏の教えである浄土真宗を、これからも聞かせていただきたいと思います。

なんまんだぶつ


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