真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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救いに条件があることにすると

いわゆるマインドコントロール(MC)について。

これもこういうものだろうという勝手なイメージや想像だけで話をしないほうがいいと思いますが、乱暴な言い方をすれば、最終的には私の判断力や思考力を奪うもしくは非常に弱い状態にしてしまって、目的に関わる判断を特定の組織もしくは人に依存するようになり、自分で考えない、判断しないことを自らもよしとしてしまう状態にするんですね。目的に関わる判断とは、宗教であるならその目的とは「救い」ですから「救われるためには」ということです。

救われるために自分がどうしたらいいのか、その組織(人)の言うことを聞かなければ自分は救われないのだと、また従って聞いている間はこれで自分こそは助かることができるのだという安心もありますから、依存状態になるのです。自分で考えられない人間になるので、ますます依存して脱けられないのです。人によって程度の差はもちろんあると思います。

ただし、どうやってそういう状態にされるかといえば、「私の判断力や思考力を使って」MCはなされる訳です。だから、強要ではないのです。強要されてないと感じるだけではなくて、実際に私の判断や決断がそこにあったんです。だから当然、MCされているなんていう自覚があるはずがないんです。あったらMCとは言えません。

私が考える力を使って、私の考える力が奪われていく…だから気付かないんです。人間の心って不思議です。これも迷いなんだと思います。心で心を騙すことも、記憶を書き換えることも、するんですね。不安や恐怖に襲われながらでも生きようとする、生き延びてきた、人間の心の防衛反応なんだろうと思います。

ただ、MCとお救いとは直接の関係はないのですから、MCから解放されることが救いの条件でも、抜けたことが救いでもないんですよね。もちろん他力のご回向と聞かせていただくのを塞いでいるという面はあると思いますが、そこのところに気付かされるだけなので、救われたらMCが全て消えるということでもないと思います。それでなくても、私の側でどうなったのが、とは言えないのですから。

どこにいようとも何を知ろうとも知らなくても、ただ、自力の心をひるがえして疑いのないご本願を聞かせていただくのみです。そこには、「不安や恐れがあってもいいんだよ、まかせておくれ」と喚びかけ続けてくださる阿弥陀さまの、譬えようもない大きな安心に包まれた世界があるのですね。まかせ切ったのです。

なんまんだぶつ

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