真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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うれしや、尊しや…

豊島学由師の『蓮如の生涯』(国書刊行会)という本を読んでいます。

江戸時代に浄信房充賢という方が書かれたものを現代語に訳したもので、まえがきに「難解な解説書や学術書とは一線を画し、上人の思想や伝説がやさしく、生き生きとした姿で描かれている」とあるように、読み物としても面白く、一話ごとに味わい深いご信心のお領解の心が記されてあって、またそれが何とも言えず有難く、涙なくしては読めません。

【信心の智慧】
 この弥七への夢中のお告げで、「智慧才覚のいる信心ではない。胸の領解の信心には智者・上人も及ばぬ」とほめられました。われわれもそのとおりです。「仏の一切の教えを知っていても、後世を知らない者は愚者である。たとえ一つの文字も知らない尼入道(在家のままで髪を剃って仏道に入った尼)であっても、後世を知っている者は智者である」といわれています。末世の智慧のないわれわれを「智者だ」とほめてくださるのは、胸にいただく信心の智慧がゆえです。
 であるからこそ、御和讃に「五十六億7千万、弥勒菩薩は年を経ん、誠の信心うる人は、このたび覚りを開くべし(弥勒菩薩は五十六億7千万年を経て仏になることになっている。しかし、真実の信心をいただいた人は、この世の命を終えて浄土往生すれば、ただちに悟りを開いて仏になれる)」といわれています。
 願も行もないこんな者が、一念の信心一つで三祇(菩薩が修行して仏になるのに要する時間で、つまり無限に長い時間)の修行を飛び越えて、一念の信心だけで長い生死の迷いの束縛から解かれ、命の糸切れしだい、永劫に尽きせぬ果報をいただけるとは、冥加にあまる幸福者であると思えたのが真実であるならば、罪を詫びつくしては,南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


【喜びの種】
 この道西がわが身に引き受けて喜ぶ味わいこそは、究極の喜びです。お慈悲を喜ぶ身になれば、順縁(順当な事柄が仏道に入る縁となるもの)も逆縁(人倫にもとるような悪しき事柄が仏道に入る縁となるもの)もみな喜びの種となります。たとえそれほどには喜ばれなくとも、せめてその百分の一でも、広大なご恩をわが身に引き受けて、邪見・我慢(高慢)な心根のその中から、お慈悲のお手もとへ立ち戻り、うれしや、尊しやと、ご恩の称名を勇んでとなえて、喜びながら往生を待ち受けられるのがありがたい。



何もかも、何もかもが阿弥陀さまからだったのです。私の手柄一つもありませんでした。思い返せば返すほど、どうしてこのような幸せな日々を送らせていただけるのか…浄土真宗は阿弥陀さまがお救いくださる教えであり、阿弥陀さまだけに帰依するものだということを失わなかったことがまた不思議です。ただ感謝しかありません…なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・

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