真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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年の瀬に

年の瀬も押し迫ってまいりました。

年が終わっても、変わっても、変わらないものに身をゆだねていられるというのはこの上のない安心ですね。

思えばこのブログも二回目の年越しです。私が伝えたかったことは、阿弥陀さまのお救いは会の所属には関係がなかったんだという当たり前のことなんです。阿弥陀さまの光明は、どこかの建物の中にだけ、どなたかのお話しを聞いている時にだけはたらくというような小さなものではありません。

救われるためには、どこかに行かなければならないとか、誰かからでなければならないとか、何々をしなければならないというのは、そのまま、どこかに行ってさえいれば救われる、この人から聞いたら救われる、何々をしてこうこうなったら救われるという自力の計らいです。阿弥陀さまの御心を疑い撥ねつける恐ろしい心でした。

私から聞いたら救われるのではないと、言うことのできる人が善知識ですね。阿弥陀さまに聞け、なんです。そこが本当の意味での厳しさ難しさなんですよね、有難かったです。毎日感謝の気持ちで一杯です。
私の話を聞きなさい、教えてあげます、私についていらしゃい、そんな人は危険ですね。そんな存在にしがみつきたい一杯なのが私で、だからこそ迷いを重ねてきたのです。自分がしっかりしないなら、しっかりしていそうな人の言うことを聞いていたら、いつかしっかりするのだろうと、言われるままに、人や自分の様ばかりを見て、浄土真宗といいながら阿弥陀さまはいったいどこにましますのでしょうかというのが、私のかつての姿でした。

ただ、弥陀に帰命せよとのお勧めです。お聖教のどこを読ませていただいてもその御心を顕かにしてくださった聖人さまの御恩を知らされるばかりです。

つい、年の瀬ということで過去を振り返ったりして、いろいろなことを想って書いてしまいましたが、阿弥陀さまのお救いを妨げるものは私の疑い以外にありません。それ以外に何も関係がないのですから、ただ今救われる教えであり、所属も関係がないのです。どこかに入ることや辞めることが救われる条件ではないので、会員でなければ助からないとか、辞めたらいいとかだめとか関係はなく、ただ本願を聞いて疑いのない信心を賜っているかどうかなんです。だから、阿弥陀さまの御心がそのままに説かれていなければ、聞けないのですね。どんな言い訳をしようとも、浄土真宗に向かったなら、阿弥陀さまを前にして、聞けていないことを誇ることはあり得ないと私は思います。

とは言え、聞いているのも、すべては阿弥陀さまからのものなので、私が誇るようなことは何もありません。人生の勝利者になったのでも、なる予定でもありません。救われたことで人を見下すようなことはあり得ないと思います。だからお救いとは別に、元々自分が特別だと思いたくて人にもそう思わせたいような人は、お救いのあることをそれに利用しようとすることがあるのかも知れませんが、どこかでそんなことがあるとしても、利用するのもされるのもそれは浅はかな人間の煩悩がさせていることで、そんな人間の勝ち負けの論理を超えたものが、阿弥陀さまのお救いだったのだと知らされる、限りなく幸せな日々です。

これからも、聞かせていただくこの身の幸と、慶びをお伝えしていきたいのです。今年もありがとうございました。

なんまんだぶつ



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