真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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証拠は

思う・思わないこと、言う・言わないことがあるとしても、私が「思わなくなったから」私が「言わないから」救われているのだとは言えませんよね。

「私にこんな有り難く喜べる心が出てくるようになったから、大丈夫だ」「私にこんな心出てこないから、大丈夫だ」…違いますよね。それでThe end.

「〇〇だから阿弥陀さまはお助けくださる」に私側の内容は入らない。

私が〇〇だから…は全部捨てるのです。私が〇〇だから救われない、私が〇〇だから救われている、両方とも。

だからお聴聞って大切なんだと思います。信後の聴聞こそ大切と言われた方がありましたが、(信前、信後という言い方はあまりよくないと思いますが)、そこからが本当のお聴聞が始まるのだとやはり思います。これでよしと自分側のものをつかむのではなく、自力は離して、阿弥陀さまの法を仰ぐ。つかみたいのが私の本性だと日々懺悔させられていくのだと思います。他力に照らされてこそ自力が浮び上がるのだと思います。

南無阿弥陀仏のおはたらきに間違いがないから、本願のなんまんだぶつがまことだから、阿弥陀さまがおたすけくださる。

証拠は南無阿弥陀仏、なんまんだぶつ

(でも、他人に向って「…な人は、弥陀に救われる必要のない人だ」こんな言葉は普通でもちょっとなかなかこれこそ出てこないんじゃないかな…と思ったりした今日この頃。だからと言って、こんなことをいうからどうこうとも言えないから。私はちょっとご遠慮したいなと思うけど。人格・性格の問題もあるし、それは人の好みというかそれでも構わないと思えるのなら人それぞれ…なのかなあ…。。。←関係のない話でした。)

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