真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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阿弥陀さまに聞け

名僧と言われる方や妙好人と言われるような方のお話、言行録と言いますか、談義本のようなものを読んだりすると、よく
「阿弥陀さまに聞け」
と言ったとか言われたということが出てきます。

有名なものでは讃岐の庄松同行の帰敬式の時のエピソードにある
「オレのことは知らん、アレに聞け」
ですね。このアレという阿弥陀さまというのはお助けくださる法としてのおはたらきのことですから、
「名号に聞け」
といっても
「南無阿弥陀仏に聞け」
といっても同じことなんですが、そういうことがよく出てきます。

そうなんですよね。
私の心なんてどうでもいいんです。私の心が変わったことが救われたことじゃない。(救われたら変わったということとは別です。)
人の心もお救いに関しては私にとってはどうでもいいんです。
だから「オレのことは知らん。」

人の心なんてそれぞれです。
それこそ、例えば「出る心出ない心」と言ってみたところでそれも人それぞれですから、ある人には出なくても私には出るかも知れません。何々先生には出なくても私に出たらどうかするのでしょうか。出たものは瞬時に出てない振りをしたって出たのですから人が出ないと言っても私には出るのだし、出ないと言われたら出さないようにできるのでしょうか…?できません。私に人と違う心が出たところで往生に困るのでしょうか?(阿弥陀さまが困るのでしょうか?)…困りません。だから、人の心が基準にはできないですし、してはならないのです。
人である知識の心を自分の信心の基準としてしまうのが知識だのみなのでしょう。
誰か人の心と同じになることを目指すのでもなく、人の心と同じになったことでもない。阿弥陀さまから賜っている心であるから、結果として一味であることは当たり前なんです。

だから、阿弥陀さまに聞け。人の心を聞くのじゃない。阿弥陀さまの御心を聞け。
人の心を通してでも聞かせてもらうのはやっぱり阿弥陀さまの御心。有り難いですね。

私も戒めていきたいと思います。

なんまんだぶつ



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