真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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ご無事でありますように

大きな地震でしたね。皆様ご無事でいらっしゃいますか?ご家族親類知人の方が被災地にいらっしゃる方はご心配なことでしょう。
報道を見ていると本当に大変な状況のようです。私の地方はほとんど地震自体は影響のないところでしたが、今回は広域災害で日本全体の被害ですからこれから直接の被害はなくても生活にも何らかの影響は出てくるのかも知れませんが、こういうときこそ助け合いで協力できることはしていきたいと思いますし、被害に遭われた方にはお見舞いを申し上げるとともに、何よりご無事やご回復をお祈りしつつ見守っています。

それにしても、普段は大きな恩恵を受けている自然も、災害となるとこれほどの大きな力の前には人間も為す術もないというような無力感さえ感じる脅威です。

よく聞いた話ですが、私の一息々々が後生に触れ合っているといのは私の実感ではなくて、事実だったのです。
これから無事に歳を重ねて老いて病に伏して死を待つような身になったのばかりが臨終ではなかったのだなと。
生きていると言えるのは今しかなかったのです。私の臨終は一体いつなのか。私というものが抜けた話では仏教になりませんでした。

私が実感できようができまいが、
私が知らされていようがいまいが、
私に思えようが思えまいが、
私が今一息切れたら後生というのは「事実」だったのです。

そんな事実に直面しているのに「そうは思えない私」というのもまた「事実」なのですから、私が死ぬということ(後生)が「問題になっていることが実感できるようになる」ところを目指しても駄目ですね。せいぜいよくて口先だけ、一時だけです。
だからそんな自分になれるところを目指していたら、そのまま一生問題にもならないでしょう。問題にならないのが自分だということに驚くこともないでしょう。阿弥陀さまが既に大問題にしてくださっていた、そしてだからこそ今もおはたきになっていることを聞かせていただくことがなければ。

今日も変らない日常に、有り難くも申し訳なく、自分にできることを考えていきたいと思っています。

なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・


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