真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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児玉清さん

日曜日の昼下がり、毎週必ず忘れないようにとか録画してまでという訳ではありませんでしたが、「アタック25」という番組が好きでよく見ていました。

少し前も、やっている時間だなと思ってチャンネルを合わせたら、児玉さんは病気の為お休みで代役のアナウンサーの方が司会をされるとのことでした。

代役の方も、本来の雰囲気を損ねないようにされていることはわかるのですが、やはり「間」が違うのですね、ああ違うここはもっとこう言って欲しいと思ってしまうのでした。それほど長い年月で視聴者と共に培われてきた児玉さんの「型」というものがあったということなのでしょう。

しばらくして、訃報を知りました。
もうあの司会は見られないのかと思うと寂しい気持ちで一杯ですが、幾つかの追悼の記事の中で、児玉さんにはこの番組への相当の思い入れがあって司会者として番組を制作されていたことを知りました。やはり長寿で続くということには、それなりの理由があるものですね。

その中で、印象に残ったものの一つが、児玉さんと阿川佐知子さんとの対談の記事です。
活字中毒『児玉清「素人参加の最近の『アタック25』は、人生そのものなんです」』
この中で、児玉さんは、「でも素人参加の最近のアタックは人生そのものなんです。終わった後、誰もが必ず言うのは、「あのとき押していれば勝ってた」「答え知ってたのに押せなかった」って。この連続。」と言っています。その他にも、取ったパネルの形が十文字になったとき、最終的に勝つためには次の問題に答えないほうがいいのか?ということなどにも触れられて、面白いです。

なるほど…と思いました。十文字になったとき次のパネルを取ると、その次に角を取られる可能性があるから答えないほうがいいのでは?と思ったりもするのですが、ところが、このクイズは回答者は4人なんです。3人と戦わなくてはならない。その機会にわざと取らずにおいても、狙った時に答えられて取れるとは限らないのです。それで、「あの時答えられていれば…」となる訳です。一番たくさん答えた人が勝つとも限らない。ここぞというときにポンポンと答えてあれよあれよと裏返して勝ってしまう…クイズとオセロゲームを組み合わせたことによって生まれたそんなところが、残酷でもあり、面白くもあるから、長年続いたのでしょうし、私も面白いなと思って見ていました。

いろんな人が絡み合って、赤と白が競っているときに、青が答えて、どのパネルを取るかによって、赤にとっては味方にもなったり、敵になったり、努力だけではない、タイミングや他の人との絡み…思うようにはならないものです。人生そのものと言われたのはそのとおりなのかも知れないと思います。

児玉さんは書評家としても知られていましたが、友人からこの児玉さんが紹介していたという本を勧められたことがあります。児玉さんが、自分の人生観を変えた本と言っていたそうです。
『不安定からの発想』という本でした。友人が言っていたのは、これまでは安定を得ようとしていたから飛べなかった、ところがライト兄弟は「不安定である」ことを前提としたから飛ぶことができたのだと。本の紹介のところを見てみると、「ライト兄弟はどうして大空を飛べたのか。それを可能にしたものは、勇気と主体的な制御思想だった。空が不安定なものであることを受け入れ、過度な安定に身を置かず、自らが操縦桿を握ることで安定を生み出すのだと。それはわれわれの人生に重なる発想ではないか―。」と書かれていました

まだ読んでませんが、「不安定からの発想」というのは、浄土真宗の安心とも通じるものがあるように思います。私というものは、「これでいい、もうこれでいいんだよ」というどっかりとした安定が欲しいのですね、確かに、欲しかったのです。ところが、悟りは開けないのです。凡夫のままなのです。

ところが(とまたここで向きが変わって)「それでいいんだよ、そのままで」といつでも包んでくださる存在があるのです。何をしたっていいんです。でも、何をしでかすかわからない凡夫のままでもあるんです。

そこで、その大きな包容の中にあるから、仏さまは何も要求はされないけれど、だからこそ「これでいいのかな」と自らに問うていく、出来る限りの「主体的な制御」をしていくのが生きている間の道だと思います。聞く耳をいただいたのです。

「もうこれでいいんだ、こうしていればいいんだ、という安住があるんだぞ、そこへ辿り着くためには、こうしていればいいんだ」というのなら、それも一つの安住です。ところが、「いや、こんな程度ではいけない、もっと真剣に、もっと時間やお金を費やして、もっと精を出して、もっと、もっと、足りないからこのまま駄目なんだと励んでいるのだからこれでいいなんて思ってないぞ」と忙しくしていると、安住しているとは思えないんです。「自分は安心せず求めている」というところに「安心していた」のでした。それも一つの安心・満足には違いないのですが、果たしてそれが、当初目指していたものなのか、いつしかすり変わっていないか、「こうしてもっともっとと求めているのだから安心していない‥の安心」に気付くのも、縁によっては難しいものなのかも知れないと自分を振り返っても思います。

しっかりなりたい、間違いのない私になりたい…は投げておまかせ。阿弥陀さまからまかせて大丈夫。
『不安定からの発想』時間ができたら読みたいと思います。児玉さんも偲びながら。なんまんだぶつ


さくらんぼ大
(家の小さなさくらんぼの木が初めて実をつけました。咲いた花は少なかったように感じましたが、意外にたくさん実ってびっくり!全部でこの5倍くらい採れました。甘くておいしかったです。)


*Comment

NoTitle 

いや~、さくらんぼおいしそう!
たくさんなってよかったですね。
育てるのがうまいんですね、きっと。
さて、過日は親鸞会時代を思い出して、つい過剰反応してしまい失礼しました。
時間が経っているのに、当時の気持ちが縁に触れてぱっと出てくるのですから困ったものです。
癒されるのにはまだまだ時間がかかりそうです。
  • posted by mary 
  • URL 
  • 2011.05/24 22:27分 
  • [Edit]

NoTitle 

どうも~、日当たりのいいところに植えたのがよかったみたいです。

>さて、過日は親鸞会時代を思い出して、つい過剰反応してしまい失礼しました。

いえいえ、全然構いませんよ。むしろ正直な感想を書いていただけるのは嬉しいです。立場が変われば見方や考え方も違ったり変わったりするのは当然で、私もいつも、こうだろうか、ああだろうかとうろうろしています。人間だもの。(みつをさんじゃないですが。)

>時間が経っているのに、当時の気持ちが縁に触れてぱっと出てくるのですから困ったものです。
癒されるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

私も結構辛いものがありました。今も時々。。そこでの経験や思いが強いほど出てくるものも大きいですが、正常な心理反応だそうですので、無理に抑えなくても大丈夫ですし、少しずつでも出てくることで整理もされていくようです。時間薬みたいなところもありますよね。
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2011.05/25 18:37分 
  • [Edit]

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