真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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わかってない人

S会では、実践が命ということで、やった人が進んでいる人とされているようでした。
進んでいるというのは信仰というもので、信仰が進んだということは、それだけ目指すところの救いに近づいたということです。
それには実践が必要で、やったらやっただけ知らされるということでした。
何が知らされるのかよくわかりませんでしたが、私は「知らされたことが救われたことではない」と聞いていたので、何か救いとは別に知らされたいことがある人は実践に励んで、何か知らされていることがあるのだろうと思っていました。
でも、救いに関してなら結局知らされることは、いつもどこまでやっても自分の実践では足りないということじゃないのかなと思っていました。やってから後知らされて救われるなら、時間も足りないよね…?と。
やってみなくても、初めから仰せなのだから。
私のすることは間に合いません。南無阿弥陀仏のおはたらきに不足はありませんと。

これを疑うから、やってみたら等と計らうのであって、何かが足りないのではないのです。
聞くに極まる、そのまま聞かせてくださるお救い。
私は自分の力では出離できないと、私よりご存知の如来さまが選んでくださっていました。
どうしようもない悪人の私には、如来さまが与えてくださるお念仏以外にはなかったのです。

実践が命の人たちには、決められた活動をしない私は「わかってない人。」
わかってないままで救われる教え。

なんまんだぶつ

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