真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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今の私がそのままありのままの私

つづき。
ありのままの私というのは、今の私の有りさまということ。
心コロコロで常に私というものは変わっていくから。

だから救いを未来に置いてしまう人たちは、ありのままの自分を見つめることができない。

努力の末に勝ち取るものだとか、苦労が報われてだとか
そう思いたい取引根性がつくりだす自力が、自分の立ち位置を未来に持っていく。

今の自分

救われた後から振り返って見て喜べる自分
にして見ている。

きっとこうしていれば救われるに間違いない道を進んでいるのだから
今の求道で間違いないと思っている。思いたいんだよね。掴んで離したくない。

今の自分というものを、今ここに立ってではなくて、常に救われた後の未来から見てそこに合わせようとする。
先走って救いの世界を想像して、救われたらああなるんだ、こうなるものだ、きっとあんなことが起こる、そしてあの人のようになるんだ、
そんな世界を、仏さまの話でなくて実は人の体験談だったという話を聞いて自分で作り上げているから
あの人は信心決定しているとか、あんなものがしているはずがないとか判別までする。できてしまう。
(こうなったら救われているとかこうだから、ああだからと判別しようとするのが計らいなんだよね。)

未来の理想を体現した自分を想像して、今やっていることは何であろうと未来に救われる為なんだとしてしまえば、何でも正当化できるし何も考えなくてもいい。
最高の“逃げ”。

今の私をありのままで見ようとしないから、今の私そのままでお救いくださるお慈悲が見えなかった。
私があるのは今の瞬間しかない。今が過去から未来へと私ごとそのまま移動しているだけなんだよ。
だから今救われるものでないなら私は救われない。

なんまんだぶつ

*Comment

 

仰る通りですね。
まだ学生部と呼ばれていた頃の合宿では、その講義も含めてすべてが求道姿勢を徹底的に糾す内容でしたね。今思い出すと、当時は合宿の日が近づくと心が重くなりました。合宿中に気が休まるのは、寝ているときだけでしたが、それも朝は起床前に目覚めて、直ぐに飛び起きられるように布団の中で待機していました。
その合宿を通して、そのままの私を今助けるという阿弥陀仏の本願を否定し、自力聖道門のような未来の救いに学生会員をマインド・コントロールしていたのだと、思わずにおれません。話がそれますが、会員時代に真実を知らされた喜びで、他の人に仏法を伝えたことは正直ほとんどありませんでした。法施が宿善になるからといわれて渋々していたのが偽らざる実態です。
しかし、講義する講師部員や幹部会員も、全く阿弥陀仏の本願を判っていなかったのだと思います。ともかく、合宿の時ばかりでなく、普通の活動の時も形ばかりを糾していました。学生であっても聴聞の時は必ずスーツでネクタイ着用、正座を崩したら後からつつかれ、居眠りをしようものなら、会合の時に徹底的に糾弾され、でも、これはおかしいでしょう。
現在はこんなことはしていないのかも知れませんが、今も会に残って活動している同年代の現役会員には、このような姿勢が刷り込まれていると思います。私でも時に合宿の夢を見るのですから。あのような合宿は、見た目は真剣な求道姿勢が作れますが、阿弥陀仏の救いから遠ざけてしまいます。
  • posted by 雑草 
  • URL 
  • 2011.11/14 19:31分 
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