真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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そのこころ①

雑草さんコメントありがとうございます。

> 仰る通りですね。
> まだ学生部と呼ばれていた頃の合宿では、その講義も含めてすべてが求道姿勢を徹底的に糾す内容でしたね。今思い出すと、当時は合宿の日が近づくと心が重くなりました。合宿中に気が休まるのは、寝ているときだけでしたが、それも朝は起床前に目覚めて、直ぐに飛び起きられるように布団の中で待機していました。

> その合宿を通して、そのままの私を今助けるという阿弥陀仏の本願を否定し、自力聖道門のような未来の救いに学生会員をマインド・コントロールしていたのだと、思わずにおれません。話がそれますが、会員時代に真実を知らされた喜びで、他の人に仏法を伝えたことは正直ほとんどありませんでした。法施が宿善になるからといわれて渋々していたのが偽らざる実態です。

> しかし、講義する講師部員や幹部会員も、全く阿弥陀仏の本願を判っていなかったのだと思います。ともかく、合宿の時ばかりでなく、普通の活動の時も形ばかりを糾していました。学生であっても聴聞の時は必ずスーツでネクタイ着用、正座を崩したら後からつつかれ、居眠りをしようものなら、会合の時に徹底的に糾弾され、でも、これはおかしいでしょう。

> 現在はこんなことはしていないのかも知れませんが、今も会に残って活動している同年代の現役会員には、このような姿勢が刷り込まれていると思います。私でも時に合宿の夢を見るのですから。あのような合宿は、見た目は真剣な求道姿勢が作れますが、阿弥陀仏の救いから遠ざけてしまいます。



体験談をありがとうございました。学生部と言われていた頃とは言っても会員さんの心の実態は今も同じようなものだと思います。また、仰るとおりそのころ学生部で指導を受けて今も会員でいる方にとっては、その刷り込みが抜けないのは容易に想像がつきます。

とにかく求道、求道と煽られるのは真面目な人にとってはむしろ惹き付けられやすい側面もありました。
若さのエネルギーも…そう、「人生を懸けて」といったフレーズがよく聞かれることからも、情熱を何かに傾けることへの憧れもそうさせるのかも知れませんね。

雑草さんの中にはその合宿が強烈な印象として残っているのですね。私は会員歴はそこそこありますが幸か不幸か指摘も糾弾も直接接したことがない会員だったのです。だからこそ続けることができてしまったとも言えます。。。ただ、私もそういった刷り込み教育をされている講師や幹部や先輩から話を聞いていたわけですから、仰ることは非常によくわかりますし理解できます。自分がそういった合宿に参加していなくてもそこで育成された人がそこでの教えを理想・指針として後の会員を指導していくのですから、同じようなことが刷り込まれて理想とする雰囲気もそういったものになっていきます。ですから会員が何を刷り込まれ、どんな心になり、何にすがり、何を信じているのか、これは言葉で明確に言われることだけじゃないので、体験した人じゃないとわからないですね。かつては聖道門的と思っていたS会の教えですが、今も表面的にはそのように装われているとしてもその実態は結局カルトの教えだったなと思います。お返事遅くなりましてすみませんでした。

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