真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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ある人との会話

「ちょっと教えて欲しいんだけど、御文章にも『疑いなく信じて』とあるから、信じるということだな、でも信じるということがわからないんだ」

「信じる心はないから、自分で信じるということではないよね。でも信じるという言葉が使われているのは、帰命して計らいを捨てるということ、帰命ということを私が普段使っている言葉で言おうとしたら、信じるという言葉が一番適当で他にはないからじゃないかな」

「確かに、自分で信じるということじゃないね。じゃあどうしたらいいのかな」

「どうしたらって、何かしたらどうにかなるのかな。どうにかして、どうなりたいの?」

「だから、疑いのない身に…」

「どうなったのが、疑いの無い身だと思うの?」

「だから、地獄行き間違いなしの自分が、極楽参り間違いなしだと。」

「だと、何?」

「信じる」

「信じるって、自分で思うってこと?」

「いや、自分で思う、自分で信じるんじゃないんだな。それは確かにできないってさっきも言ったね」

「うん。自分で信じるんじゃないよね」

「じゃあ、何もしなくていいのか。このままでいいんだな。…これでいいの?」

「これでいいの?って私自身はそれでも別にいいけど、私に『うんそれでいいんだよ』って言われたところでどうなるのかしら。私がいいといったらよくなるの?それじゃあ何だか土蔵秘事みたいだよね、認定してもらったから、みたいな。善知識だのみとか。私は授けられないよ(笑)」

「そうだね。だけど、自分じゃわからないじゃないか。はっきりするんだよね?」

「何が?」

「地獄行きなのと極楽行きだというのが」

「お経やお聖教に書かれてあるよね、つまり阿弥陀さまが仰せだよね、それを聞いて、それ以上はっきりしたものがあるの?」

「うん、だけどそうは思えないでしょ?」

「そうだね…思えない、わからない、はっきりしない…。思った、わかった、はっきりした、仏様の心より、自分の心のほうが大事で間違いないと思うんだよね、愚かな私は。そういう自分の体験こそというのが、体験至上主義じゃないのかな」

「それも違うのか……。よし、わかった。何もなし。これでいいんだな。これでよし」

「自分がこれでよいと決めた!…なんだか信心決定というより、自身決定みたいだね」

「もう、じゃあどうなったらいいの?」

「いや別に、こうだからいいというのも無いのなら、こうだから駄目というのもないんだよ。これならいいのかという問いはこれではあかんのかという問いと同じだよね。それは全部私目線、私中心の考え、自分勝手な計らいだもんね。いいも悪いも『仏さまが』私に何と仰せなのかじゃないのかな」……その後もたわいもない話は続きました。

なんまんだぶ

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