真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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人から認めてもらうのがてっとり早い安心

先日テレビでやっていた、芸能人が過去に私はこうして騙されてお金を取られましたという話を何気なく見ていました。

その中に、酷い男の人にせがまれるまま何百万と貢いでしまったという話があって、まあよくある話なのかも知れませんが、そのときのあるゲストの人が、「きっとまた繰り返すよー。私も似たところがあるからわかる。劣等心が強いから、お金をあげてると居場所があるようで安心するんだよね。」というようなことを言っていたのが印象に残りました。
後から、嘘に騙されて出してしまっていた(出す必要のないお金だった)と気付くのですが、出しているときは気持ちがいいのですね。

これに似たような話で、これも以前にテレビでやっていた、振り込め詐欺に騙されて銀行で入金しようとしていた人に、銀行員が不審に思って警察に届け、警察官も呼んで一緒に振込を待つように、本当に息子からの電話なのか確かめてからするように説得しているにもかかわらず、早く振り込まないと大変なことになると信じ込まされている被害者は、何と「嘘でもいいから早く振り込ませてくれ!」と怒り出したという話を思い出しました。時間がないという心理状態に追い込まれるから、判断力も鈍ってしまうというような解説でした。

嘘でもいいから振り込めばとりあえず安心できる──それほどまでに、人の心は安心が欲しいのだなあと。
お金と引き替えに、貢ぐのと引き替えに、何か得ているものがあるのですね。(だからいいという意味ではなくて。実際は得ていると勘違いさせられているだけで、騙されなければ得られないようなものではないから)
だけど、それは本当に、最初に望んだことなのか、最初に看板に掲げられていたことなのか──?
いつしかいつしか、でいつの間にか別のもの、自分の中で「希望のようなもの」にすり替えさせる…希望は一つの大きな安心だから、不安を煽ってお金とかを出させる代わりに希望を与えてあげてつなぎとめる…騙しの手口はいつもそういうものなのかも知れません。

もうひとつ…
これまで散々人を持ち上げることで安心してきました。善知識ごっこ──持ち上げる人と持ち上げられる人の互いの依存の仕合いで安心を得てきました。その味はなかなか忘れられないものですね。もちろん全部を否定する必要はないのですが、どこが問題だったのか区別をつけるというのは、痛みも伴って考えないとなかなか気付けないものなのですね…。
無意識に、代わりのものを探すのです。たとえ信心決定したといっても、人から認められたい煩悩は変わらないし、信心決定したという人ならやることなすことに間違いがなく正しくなるのでもありませんから…。もういい加減、善知識ごっこは卒業しようと思ったのです。なんまんだぶつ

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  • posted by  
  •  
  • 2012.05/26 18:44分 
  • [Edit]

 

こんにちは。
ありがとうございます。
うーんi-196
私はそんなことを言った覚えがないのですが、どなたかとお間違えではないでしょうか…
それか、当時のSNS内のブログのことを指して言ったのかな…i-179
  • posted by hiromi 
  • URL 
  • 2012.05/27 00:42分 
  • [Edit]

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