真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

死を受け容れるということ

母の病気に際して実感したこと。

医学の進歩によって、患者やその家族には、いろいろな選択肢が与えられるようになった。
しかしそれは同時に、選択を迫られるということでもある。

症状の変化に伴って、こういう方法もありますがどうされますか、と医師から尋ねられる。
内容について詳しく説明してもらった後、すぐに決めていただかなくてもいいですから、ご家族で話し合ってください…ということが、何度もある。

いわゆる、延命措置といわれるもの。

問答無用ですこしでも長く生かせたほうがいい、という倫理観がある一方で、果たしてそれでも生きていると言えるのか?という疑問。

それとは別に、身内の生死に直面する家族の感情というものが、、、どういうものなのか、、、こんな気持ちが生まれるんだ、、、と身に沁みて実感した。

患者本人の意志とはまた別に、家族としての、身内に今死なれたくない、身内の死に遭いたくない、それはなるべく先延ばしにしたいという感情があることを。
自分の死ももちろんそうだけれども、人の死を受け入れるということもまた難しいのだ。家族なら尚更。
だから、一分一秒でも命は長らえるべきだという価値観を隠れ蓑にして、あらゆる手段を使ってでも先送りにしたいんだ。

自分の死に対してだけじゃなく、人の死に対しても弱い。人間は。
考えてみれば当たり前のことだけど。

でも、またそこから一歩想いが生まれた。
その人の死を受けいれることもひっくるめて、その人自身を受け入れることなのではないのか、と。
死ぬということも含めて、その人の人生ではないのかと。

そう受け止められるような強さを私が得たということではなくて、弱さを抱えたまま、弱さも認めることができるから。
だから、延命がいいとか悪いとか、むしろ単純には言えないと前よりも感じている。
弱いのが人間。迷うのが人間。人間って悲しいけど、だから人間なんだね。

死が忌み嫌うだけの存在でしかなかった頃の私には、思い至らなかったことだと思う。

死ぬと同時に、生まれるという世界がある。その中に私はいる。すべての人が入っていく。
寂しいけれど、さよならじゃない。

つくづく。有り難い。

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

Menu

プロフィール

hiromi

Author:hiromi
hiromiです。

日々の喜びの中で
感じたことを綴っていきます。

メールは上の「Menu_s」からフォームを開いてください。

CalendArchive

最新記事

Link

*~*~*~*~*~*~*~*~*
当ウェブページはリンクフリーです。 リンクしてくださりありがとうございます。

全記事表示リンク

メールフォーム

メールはこちらからでもどうぞ ご感想、ご質問、雑談等、お気軽にお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

FC2カウンター

最新トラックバック

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。