真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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拝む掌の中に

母は10年前から病気でした。

憎むべきは病気であろうに、私はそのあまりに残酷な病気を家族として受けいれ難い気持ちもあって、さして抵抗しようともしない母を憎みました。周りを見渡せば、娘に子どもが生まれれば、あれこれと手伝ってくれたり、面倒をみてくれたりするものなのに、そういうこともほとんどなかったのです。母は元々、家族に対しても、よく言えば無干渉、悪く言えば無関心なところがあったので、もしかすると病気でなくてもそうだったのかも知れません。

やがて私のこともわからなくなり、私の母としての母は、死んだと思いました。だって、母が母たる所以は、母として娘として、共有してきたものがあるからこそです。それがなくなってしまったのですから。

それでも母は生きました。家の面倒なことや苦労は全部引き受けて、一人で頑張ってきた母が、最後は全部父にやってもらっているなんて、人生は帳尻が合うようにできているのかななんて思ったりもしました。

死んだと思った母ですが、病気になっても父に愛されて家族に見守られた母として生きました。そういう生き方もあるんだと、つい最近になって思い至りました。

そして今、またお浄土からかえってきて、いつでも常に護ってくれています。
どなたか仰っていた、『人は去っても 拝む掌(て)の中に かえってくる』
本当ですね。
ありがたいです。

なもあみだぶつ

*Comment

NoTitle 

お久しぶりです。
お家まで伺ってお話して以来もう5年近くたってしまいましたね。
その間、私も父を亡くし、母は認知症になり、今では話もかみ合いません。
毎朝、阿弥陀様にご挨拶した後、父にも話しかけています。お浄土からかえってきて、常に見護って暮れているように思います。
施設の母にも、話はかみ合いませんが、私を産んでくれてありがとうと話しかけたり、お念仏称えてねと言って南無阿弥陀仏と呼びかけたりしています。
これからも人生いろいろなことがやってくると思いますが、仏様と共に乗り越えていきたいと思います。
  • posted by 広海 
  • URL 
  • 2014.05/31 20:45分 
  • [Edit]

広海さんお久しぶりです。 

すみません。メッセージ、いただいていたの、今まで気づきませんでした。
ありがとうございます。

>毎朝、阿弥陀様にご挨拶した後、父にも話しかけています。お浄土からかえってきて、常に見護って暮れているように思います。

私も同じです。父にとっても母の存在が支えになっているようです。本当に浄土真宗って有り難いです。
  • posted by  
  • URL 
  • 2015.09/29 22:45分 
  • [Edit]

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