真の知識にあうことは

真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 親鸞聖人

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自分では死ねない

「薄紙一枚」という表現が気になって、探してみた。ある和上のお話が出てきた。「薄紙一枚のところがわかりません」という人に対するお話。検索してみてください。私の、苦手な(親しみを込めて)和上のお話。どうして苦手なのかというと、すごすぎて、辛い。濁流のように、押し寄せてくる、ありがたみの凄み。「ずーっと自己否定を重ねて、最後まで残るのが抜きがたい自力ではありませんか」「私が私の三心を否定するのではなくて...

薄紙一枚、破ろうと思っていると破れない

自分の心を思い出す度、不思議でならないことがある。「それは、他人に判別できない、仏様と、自分にしかわからないことだということはわかる」そう思っていたし、実際そう書いていた。人からそう言われたから、ではなくて、自分の実感として、理解として、事実として、わかるという感覚だった。いまから思うと、どうしてそんなことがわかっていたのか・・と思う。そうなると、「じゃあ、自分にはわかるというのは、どういうことな...

崩れないものとは

何があっても崩れないとか聞きますと、たいてい、がっちり、しっかりしたものがあって、微動だにしない堅固で強固なものがあると思ってしまいますね。確かに、微動だにしない(?いや、激しく動き働いてくださってますが‥、まあ比喩表現として)おはたらきがあるとして、しかしながら、「こちら側では」「何もこしらえない」から、崩れようもないのです。むしろ、こちら側で、しっかりしたものを、こしらえようと、掴もうとする心...

認められなくても

人の根源的な欲求の中に、承認欲求というものがあります。私が思うに、一つは、認められてこそ自分の存在意義、つまりは生き甲斐やアイデンティティーを確かめられるというもの、単純に言えば、褒められたリ、ありがとうと言われると嬉しいというような気持ちです。もう一つは、他人から認められてこそ安心できるというような気持ちです。自分だけでは確信が持てないから、他人から認められて、それも大勢であればあるほど、安心で...

何もない

どうなったのが、助かったのか。南無阿弥陀仏の外(ほか)に、何もない。助かった証拠は。南無阿弥陀仏の外に、何もない。助かる証拠は。南無阿弥陀仏の外に、何もない。南無阿弥陀仏の外のものを、つかみたい、すがりたいの心を捨てて、南無阿弥陀仏の海に飛び込む覚悟、一度きり。一度できたら、あとはいつでもできるから、ずっとしていくだけ。...

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